美濃の山車まつり紀行
   〜八百津だんじり祭り

文・写真:古伝馬

毎年4月第二土曜日曜日

尾張の北の端犬山から木曽川を渡るだけでずいぶん祭りの印象が変わるものですね。
「八百津」と「津」がつくように木曽川の船運の港があってとても栄えた所のようで、大きくて立派な家がたくさんあります。きっと木曽川に船が来てたのでしょう、その象徴として船型の山車(だんじり)が造られたと思います。
船型の山車といえばすぐ近くの犬山祭りの「浦島」、それに美濃祭りに出てくる昔の名古屋若宮祭りの舟山車があります。もちろん原型は京都祇園祭の船鉾なんでしょうね。
八百津の山車は三台で、だんじりと呼ばれています。三台のだんじりを並べると一艘の船になるという珍しいものです。
ただ、厳密に言うとお互いのカジ棒の分もありピッタリ一艘の船になるわけではないのですが。
先頭のへさきの部分が芦渡組(あしど)、真ん中が本郷組、後ろが黒瀬組(くろぜ)です。
山車のホイールベースは山車の長さに比べてもとても短く前と後ろにオーバーハングしているため、とても曲がりにくいと思います。
車輪は外輪で、一般的な鉄の輪を巻くのではなく輪に直角方向に歯車のように鉄の板が打ちつけてあるので動くとゴトゴトと振動が常に山車全体に伝わっています。
だんじりは接合部分を藤づるで締め付けてあります。毎年新しいツルで締めなおすそうです。
だんじりを運行する人達は、粋な頭巾をかぶり、地下足袋にわらじをはきます。この衣装が八百津祭りの印象を独特のものにしています。

道幅がせまく常に坂道の連続ですから尾張の山車を見慣れた私にとっては犬山のように外輪で車輪がむき出しでもありとても危険そうなところもあるのですが、さすがに地元の人達はさほど大げさな規制もせずにやられています。
ただこの日は大船神社への巡行の途中に車輪に巻き込まれて三名の方が救急車で搬送されました。中止になるかとも思いましたが、水をまいて続行されました。
梶棒は、しっかり固定されてなくてなぜかとてもアソビが多いんです。梶棒をかつぎあげるドンデンはしません。
角を曲がる時は前進させながらズルッズルッと強引に向きを変えるのですが、だんじりの左右にいる樫の棒を持ったテコが車輪に棒を当てて微妙に制御してるようです。曲がったあとにテコの棒が5〜6本ころがっているんです。棒を輪の前後に突っ込んで手を放してしまうようです。

曲がった後は止まらずに常に全速力でしばらく走ります。ゴトゴトいわせてすごい迫力ですよ。ここが岸和田のだんじりと同じですね。
見どころは大船神社の坂上げと坂おろしです。ここで車輪にはめた鉄の板の意味がわかります。
この坂道は舗装してないとても急な坂道で、登りつめたところで直角に曲がりまたさらに神社下まで坂道が続くんです。これはとても見ごたえがあります。
だんじりの上はもちろん、周りも女人禁制など伝統を忠実に守っていて祭りに関わるみなさんの努力が感じられました。

本楽は朝九時に当本(とうもと)さんの家の前を出発し、夜祭りは無く午後4時にすべてが終わってしまう祭りでした。夜などはとても危なくて曳き回せないとも思いましたね。狭いし、坂道ばかりだし。
今まで見慣れた尾張の山車まつりとは祭り自体の印象の違いを感じました。しっかり統率のとれた祭りは見ていてもとてもいいものです。

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