[尾張の山車まつり]−[唐子展]−[牧内則雄]

牧内則雄

 その人形は、晩秋の陽の光のなかで、笑っている様に立っていました。
不気味とも思える表情と、時代を経て、しっとりとした量感のある衣裳は、不思議な雰囲気をもっています。今まで、味わったことのない興奮を感じています。“ああ・・・これだ。これを描けたら…。”


 初めてのからくり人形との出合いは、こんな風に始まりました。それは、尾張横須賀北町小人形、四代目玉屋庄兵衛作、今から140年程前の人形であるということは、後になって知りました。
高い山車の上で、片手で逆立ちのポーズをしながら、手前の太鼓をたたいて、どうだ、といわんばかりの表情で、首をまわす−そんなしぐさをする人形に、観衆はわれんばかりの拍手をします。
140年前の当時の人々が、離れからくりと言われるその人形のしかけに、日をまんまるにして観た顔が、目にうかぶではありませんか。

 愛知県には、山車まつりといわれる祭礼が、春と秋に、各地で行なわれます。高さ5〜6m、重さ5〜6tの山車に、からくり人形をのせて、町内をひき回し、人形のからくり演技を競うといったものです。
江戸時代の中頃より盛んになって、今日まで続いています。今まで多くの人形師たちが、名作を数多く残してきました。
玉屋庄兵衛、隅田仁兵衛、竹田源吉、藤吉−多くの名工の手になる人形は、それぞれに心ときめく人形達です。そんな人形が、尾張には600以上残っています。
それを知って、私は、それから“人形行脚”が始まりました。祭礼に出かけては人形を見ながら、目にうかぶイメージを作品にするといった方法が、いつしか、自分のスタイルになりました。
名古屋市、東海市、犬山市、知多市、西枇杷島町等々、各地で皆様には大変御世話になりました。人形が好きだと言うだけで、通りすがりの私に、よく心よく描かせてくれたかと思うと、御礼の言葉もありません。自分の子供よりも大切にして、代々と守り続けて来た町衆の心意気に、頭が下がります。
 汗と涙の山車まつり −まだあどけなさの残る若者が、5tもある山車を必死になってかつぎ上げ、おはやしと紙吹雪の舞い散るなかを、歯をくいしばってひき回し、終れば、涙、涙の男泣き。老若男女−老いも若きも一丸となってくりひろげられる山車まつり−時は流れ、人は変っても、町衆の心意気は綿々と続いています。
過去のものではなく、現在も、将来も、地域の守り神様としてのからくり人形に心をよせる人々に、心からのエールを送る次第です。
2000年10月吉日  牧内 則雄
 牧内則雄略歴
1948年 長野県飯田市に生まれる
1972年 愛知県立芸術大学美術学部絵画科油画卒業
1974年 同大学大学院美術研究科修士課程修了
1975年 スペイン留学プラド美術館模写研修(レンプラント、ボッシュ)
1984年 伊藤廉記念賞展(日動画廊一名古屋)
1985年 上野の森絵画大賞展(東京)
1987年 第63回白日会展一白日賞
1989年 個展(銀座三越)1992年第2回
      第65回白日会展一準会員奨勧賞
      現代の洋画〜’99
1990年 白日会選抜展(日本橋三越本店 他)〜’99
      明日の白目会展〜’94
1991年 第67回白日会展一安田火災美術財団奨励賞
      T.I・A・S ’91一招待(東京一晴海)
1993年 尾張横須賀北町組からくり人形描画
      駒ヶ根高原美術館作品収蔵
1994年 石田財団芸術奨励賞受賞 受賞記念展(名古屋)
      第70担白日会展一S賞
      個展(駒ヶ根高原美術館)
1995年 個展(名古屋)
1997年 個展(名古屋三越)
1999年 個展(日本橋三越本店)
現 在  白日会会員