東海市横須賀町「北町組山車」は文政10年(1827)頃建造され、元治元年(1864)に現在の形態になったと推定されます.
采振り人形を置く前棚を備える名古屋型の山車で、堂山四周の支輪に瀬川治助重定の「唐獅子」、前棚部壇箱に瀬川治助重光の「老松」彫刻などで装飾されています.
山車彫刻はこのように瀬川治助父子の作品で、露出する彫刻面には落款や刻銘は見あたりません.
平成20年7月20日土用干しの際に、山車内部の内張を剥がし彫刻裏面を観察する事が出来ました.
支輪部の「唐獅子」彫刻はヒノキ材に彫刻されており、裏面に『尾州名古屋彫物師瀬川治助藤原重定作』など5ヶ所に刻銘が見られました.
当町他組の治助重定の作品(本町組、公通組圓通車・八公車、大門組)の署名が全て墨書であるのに対し北町組の場合は陰刻である事は製作年代の違いでしょうか.
前棚部はケヤキ材の『老松』は右側の彫刻裏面下部に『尾州瀬川重光作』の刻銘が見られましたが、正面の内張を剥がすことが出来ず、未調査であり、左面の彫刻裏面には刻銘はありません.
また、彫刻本体に制作年を特定する記述はなく、唐獅子の製作年代は不明.老松も山車蔵に保管されている板書の元治元年(1864)を裏付ける刻銘は見あたりませんでした.