岐阜県養老郡養老町の高田祭りに曳き出される西町「猩々やま」は寛政6年(1794)に先代の山車を火事で焼失し、嘉永4年(1851)から天保3年(1832)の10年間をかけて現在の山車を完成させています.
現在は岐阜県の重要文化財に指定され、特に諏訪の名工立川和四郎の作の「松鷲」など見応えある山車彫刻が著名です.
西町の山車彫刻は従来より「三代目立川和四郎冨重と立川専四郎冨種の兄弟共作とされていましたが、岐阜高専名誉教授水野耕嗣氏により新しい事実が判明しました.
山車前方左右に飾られる「松鷲」の彫刻は高さ120cm、幅50cm、厚さ20cmの大きな作品で、ケヤキの1枚板に彫刻が施されています.
その彫刻裏面に
「信州上諏訪」
「立川冨昌」
「同 冨種」
の陰刻が見つかりました.冨昌は冨重の父であることから、これまで三代目和四郎冨重と専四郎の兄弟作とされてきたのが、二代目立川和四郎と専四郎の父子共作と判明しました.
※二代目立川和四郎冨昌(1782-1856)は初代和四郎冨棟の長男として生まれ、天才的な才能と美術感覚を認められ、半田市亀ア中切組「力神車」や同西組「花王車」などに作品を残しています.
西町「猩々やま」 |