名古屋市西区比良の二福神車(北比良)の前人形(采振り人形)が修理中とのことで、春日井の萬屋仁兵衛工房を訪ねました.
二福神車は恵比寿、大黒の二体と宝袋(中から宝船が飛び出す)によるからくりで、前棚には今回ここで紹介する唐子人形が乗ります. この二福神車は文政9年(1826)に建造されたと推定されますが、恵比寿・大黒人形も含めからくり人形の製作年や作者はわかっておりません.
この人形の頭内に墨書があり『尾陽 スミタ』と読めます.
『尾陽 スミタ』は初代隅田(住田)仁兵衛の作品に見られる特色であることから、この唐子が隅田仁兵衛の関与した人形であることがわかりました.
しかし萬屋仁兵衛文造師の指摘するにはこの人形の胴はヒノキ造りで人形師の作とは思われないこと.
そして頭内から見える口部の修理痕があり、この修理痕の上から墨書してあることから人形全体ではなく、破損時に隅田仁兵衛が修理を行った可能性も考えられます.
この隅田仁兵衛(栄重)は名工といわれ名古屋末広町裏(石切町)に住み、没年は嘉永5年(1852). 名古屋東照宮祭に曳かれた桑名町「湯取車」(戦災消失)の人形などで知られます.
現存するものでは下半田北組唐子車の離れからくりや、名古屋市熱田区中瀬古の人形、小牧市横町の聖王車、一宮市山之小路車などがあります.
前述のように人形の頭に『尾陽 スミタ』と墨書銘を残す事が多いようです.
一方隅田仁兵衛には真守作とされる作品も多く残されています. 『藤原真守』『尾陽木偶師 真守』と墨書されることが多く、常滑市大野十王町「梅栄車」には『石橋舎住田真守造』の銘があります. 梅栄車の他にも、養老町高田の「林和靖車」、西枇把島町問屋町「頼朝車」、常滑市西之口「雷神車」、名古屋市緑区有松「唐子車」などに真守の作品を見ることが出来ます.
隅田仁兵衛には未だ謎が多く、『尾陽 スミタ』と墨書が残る隅田仁兵衛(栄重)を初代隅田仁兵衛、『尾陽木偶師 真守』を二代目隅田仁兵衛としています.