06-06-13

 東海市横須賀公通組「八公車」解体
6月4日(日)横須賀まつり公通組の八公車が解体されました.
八公車は、棟札によると文政6年(1823)に八公組(当時)祭礼車として土蔵とともに建造されています.
今回の解体は柱の取り替えと各部の漆塗り替えの為で、過去解体された形跡はなく、建造後初めての解体修理のようです.
山車彫刻は瀬川治助重定・重光父子の作と云われ、棟札にも『彫物師 瀬川治助』の名が記されています.
今回の解体で彫刻裏の墨書・刻銘から両名の作品であることを確認することが出来ましたが、今のところ製作年を特定できるものは発見できていません.


解体は組員で

部材

若屋2階に彫刻が並べられています

 

高欄下四周を囲む支輪彫刻の「波龍」です.
檜に彫られた彫刻の裏には『瀬川藤原重定』等の墨書が見られました.
棟札の『彫物師瀬川治助』はこの重定であり、おそらく文政6年の山車建造時の製作と思われますが、詳細は不明.

『尾州名古屋末廣町彫物師瀬川治助重定作』

前棚下三方を飾る壇箱彫刻は、重定の子である重光の作.
三枚それぞれに重光の刻銘が見られます.

右側面は「牛若丸と常磐午前」

正面の彫刻は「牛若丸と烏天狗」.瀬川得意の題材です.

『尾州奇雲堂 瀬川重光作』

『尾州奇雲堂 瀬川治助作』

『尾州 瀬川治助 重光作』


初代の弓射り人形

この飾りは銅板で細工


ヤカタ(屋根)と台輪だけ解体されていない.台輪の裏に
は何も書かれていなかった.

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