04-11-28

 半田市乙川祭りの西山「神楽車」の水引幕は「日の出に鶴の刺繍」で天保5年に作られた縫潰しが豪華な刺繍の逸品です.今年(平成16年)修復されたのは当張州雑記でも既報の通り.
この水引幕後部に下絵の作者と思われる『甫川重暉』の号が見受けられますが、これまで詳細は不明のままでした.
 今回この甫川重暉の人物が特定出来ましたので、紹介させていただきます.

 甫川つまり小田甫川(おだほせん)は名を重暉という.崋山十哲の一人で、文化2年旗本家臣戸田氏の家臣の家に生まれる.末子であった為幼少の頃から書家で身を立てようと最初山崎甫田に学ぶ.「甫川」または「拙修亭」とも号した.
その後渡辺崋山の門に入り、椿山らと交わり指導を受け花鳥を得意とした.
富士山に登ること前後6回、20歳前後以後より諸国を漫遊し尾張にも訪れる.
 弘化3年、知人の多かった武州熊谷に遊び、客と会飲し談笑中卒倒して42歳で亡くなったという.
 小田甫川と尾張や乙川との関わりは不明ですが、この水引幕下絵は甫川晩年の作品と推定されます.
参考資料:日本書家辞典(大学堂書店発行)他

[参考] 渡辺崋山は三河田原藩の家老で画家として名を成し、蘭学者でもあった.「慎機論」を著し、幕府を批判したため「蛮社の獄」に連座し、国元で蟄居中に自殺.有松・西町「神功皇后車」の下絵を描いた渡辺小華は崋山の第2子です.

※甫川の「甫」は正しくは「草かんむり」に「甫」です.Webで表示出来ない文字のため、ここでは便宜上「甫」と表記しました.
※乙川浅井山の山田利圀氏からご教示並びに資料提供いただきました.



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