04-11-28

 半田市亀崎田中組に一組の油障子が保存されています.油障子は障子型の木枠に油紙を貼ったもので、雨露のあたる屋外でも破れにくく軽くて光も通すことから、江戸時代より近世初頭まで灯台の明かり窓や現在のビニールハウスのような農業用、また建築物にも多く用いられていたようです.
現代ではガラスやビニールの普及によりその姿は見られなくなっています.
 山車祭りでも昔は油障子が多く利用されていたようです.現在では板貼りが大半の屋根部も古くは油障子で組まれる事が多く、現在でも春日井市玉野町や長久手町前熊の山車は油紙で屋根が出来ています.
 また、祭礼時の雨対策で屋根の上に重ねる雨障子として(写真1)、そして山車組立後の保管時に雨露を避けるための道具としても利用されていたようです.

 昨年秋(平成16年11月7日)半田市立博物館に展示するため「神楽車」の山車組みが行われ、この油障子も試みに組むことになりました.
この油障子は2枚が一組で蝶番(写真2)により山形になります(写真3)
(1)若宮「福禄寿車」
(2)
(3)
 ここからは組立の様子ですが、誰もこの油障子が組まれたところを見た人はおらず触るのも初めての人ばかりでしたが、一応カタチにはなったようです.


油障子(雨障子)の用途について
(写真7)の形状でもわかるように、山車の上山に被せる事は想像できますが、一部部品が不足しているようで、これをどう山車に固定するのかは不明のままです.
また(写真1)の福禄寿車のように、障子を装着した状態で曳き廻しが出来るとも思えません.おそらく駐車時専用だったのでしょう.
以下は私自身の推測ですが、亀崎の祭りは前の日に御輿が神前神社(県社)から尾張三社に渡御し、一晩お泊まりになります.現在では山車は夕刻サヤに戻ってしまいますが、昔は山車も尾張三社に朝まで留めおかれたといいます.
おそらくこの油障子はその際の雨対策だったのではないでしょうか.上山にこの油障子を被せ、堂山は
筵(ムシロ)で覆うことにより多少の雨露はしのげたのではないかと.
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写真1は犬山でこ氏、写真4〜7は田中組事務所番人氏より提供いただきました.

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