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犬山祭〜寿老臺(鍛冶屋町)

 慶安4年(1651)に伊勢参りの練り物から,寛文10年(1670)には御座船の車に変えたのが始まりで.その後,元禄15年(1702)に踊り山になって,「笠踊り」「唐人踊り」などが踊られたようです.この時の踊り山の幕は犬山城主からの拝領品の緞子だったといわれます.
 18世紀前半には3層の車山になり,明和9年(1772)に車山の大規模な修復が行われました.この少し前から,からくりは「石橋」となりましたが,18世紀末には名栗町の縫英の布袋人形を譲り受けて「布袋和尚唐子遊び」になったといわれます.その後天保6年(1835)にからくりが変えられましたが,これが現在に伝えられている「寿老人」のからくりと考えられます.
 明治36年(1903)車山が老朽化し,それまでの車山と全く同形のものを新造・復元しました.これは擬宝珠以外は装飾金具・塗料をいっさい用いず,総白木作りで建造されました.
なお,この旧車山は中島郡馬寄村(現一宮市今伊勢町馬寄)に譲渡されて「大聖車」として現存しています.
 車山名「寿老臺」はからくり人形が寿老人であるところから一般にそういわれるようになりましたが,もともとは,「石橋寿老臺」と呼ばれていました.
 下幕・水引は明治41年(1908)に,からくり人形の衣装は大正6年(1917)に新調され,また中幕は大正11年(1922)・昭和24年(1949)・昭和52年(1977)にそれぞれ新調されています

水引幕

中山幕


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