車山名「遊漁神」は,異境から訪れて漁をもたらす神,あるいは商家の福の神とされる「恵比須の鯛釣り」のからくりに因んでつけられています.
明治維新後の行政区画改革で,魚屋町からこの枝町が分離し,それまで一番車山だった魚屋町「真先」車山に変わって,この遊漁神が一番車山となり.三番叟人形が御幣を左右に振り13輌の車山巡行の安全を祈願します.
そして試楽の車山揃えには他の車山を代表して余坂先まで巡行して,天王坂のお旅所に向けてからくりを奉納します.
車山の歴史
祭礼参加当初は雪丸の練り物で,延宝2年(1674)より石引車になりました.(当時引かれた石は,現在妙海寺境内にある稲荷社の座石になっているとの伝承).
また,正徳5年(1715)より踊り山になり,石引踊りとして源氏聟入狂言・信濃釈迦踊り・お江戸通り踊りなどがされたとも言われます.
その後「恵比須鯛釣り」のからくりに変えられましたが,これは犬山城番佐藤金平の作と伝えられています.
元禄年間(17世紀末)・天保年間(18世紀後半)・文化8年(1811)・文政3年(1820)に大小の修復がなされ,明治10年(1877)には車輪・心棒を残して上部三層を楽田横町に譲渡し,他の車山の上部三層を加えて新たに建造されました.
昭和37年(1962)には金襴及びラシャ地に龍・獅子・虎の図を金・銀糸で刺繍した水引を新調し,昭和49年(1974)には漆塗り金箔施工をして,19世紀初頭の姿に戻す大修理が行われました.さらに,平成7年には2500万円をかけ修復工事が行われています. |
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