犬山の車山13台中唯一の船車山です.
からくりは,玉手箱を開けた浦島太郎がたちまち翁になってしまうという,よく知られた浦島太郎の伝説によるもので,現在使われている人形は,昭和3年(1928)に名古屋の玉屋庄兵衛が制作したものです.(平成13年九代目玉屋庄兵衛修復)
車山名「浦島」はからくりから名付けられたものですが,車山の船首の形状と,構造的にも鶏形をしているところから「鶏車山」とも呼ばれています.
車山の歴史
慶安3年(1650)より大母衣・小母衣の練り物で祭りに参加.天和3年(1683)より小母衣の武者の練り物に変わりましたが,当時の差し物に軍扇があり,それは大阪屋吉次の家宝とされていたのを借用した物で,豊臣秀吉からの拝領品であったといわれます.
その後,子供の母衣武者から,安永年間には幟1本の参列に変わりますが,この時点ではまだ車山はなく,18世紀末には花車を曳いて参加していました,
文化8(1811)年に「黒船」が作られたと伝えられ,嘉永2年(1849)には他町と同様の車山と変えられました.この時のからくりは「龍宮の子供遊び」だったとのことです.
ところが,明治6年(1873)には名古屋から船型の山車を譲り受け,その翌年に修理をしたと伝えられ,この車山は再び「黒船」と呼ばれましたが,二層作りだったようです.からくりはこのとき既に現在と同じ「浦島」になっています.
その後,明治20年(1887)に,車輪などを新調.この時に車山は三層に改造されたと考えられます.その後部分的な修理が行われ,昭和55年(1980)に車山全体の解体修理が総額682万円で行われ現在に至っています. |
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