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犬山祭〜住吉臺(熊野町)

 当初は,「佐与姫」の練り物だったのが,慶安2年(1649)より車山になったといわれます.延宝3年(1675)には当町の大工源七によって改造され,最初のからくりは「大黒天」でした.
 その後,安永8年(1779)の修理を経て文化9年(1812)には車山の塗り直しが行われ,文政7年(1824)当町大工吉右衛門・木挽三治,名古屋京町(現名古屋市中区)の彫物師公勝・漆屋和助らによって車山は再造されました.
 この時点から,今日のからくり「住吉」になったようです.それ以後元治元年(1864)に車山の修理があった他は,車山・からくりともに大きな改造・変化はなく昭和50年(1975)に心棒の取り替えがなされて現在に至っています.
車山名「住吉臺」は「住吉・白楽天」のからくりに因んで付けられたもので,能の「唐の白楽天と老漁夫の知恵問答」から採られたとのことです.
 なお,この車山の天井板に,安永8年(1779)の記として,「叶、千鶴、萬歳、千亀」が天地逆に書き留めてあります.これが何を意味しようとして書かれたのか謎となっています.

水引幕


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