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犬山祭〜西王母(中本町)

 慶安3年(1649)より車山を出し,当初のからくりは「龍門の滝」であったといわれます.その後,からくりは「西王母」に変えられ,安永5年(1776)に名古屋の人形師竹田藤吉によって「西王母唐子遊び綾渡り」に作り替えられています.
文化11年(1814)・天保11年(1840)に修理が行われ,近年では昭和51年(1976)に総額225万円をかけて上・中山が修理されました.
車山名「西王母」はこの車山のからくりから名付けられたもので,西王母とは中国の西方にある崑崙山にその昔住んでいた神女だといわれます.
 上山の四方にある四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の彫刻は早瀬長兵衛吉政によるもので,中山欄間の獅子・下山欄間の龍・ぶどう柱の獏なども彼の作と言われます.
 車山の車輪は,方円式といわれる作り方で,材料の木口全体が円周に対し直角になるよう作られています.これは車輪の摩耗を少なく,しかも均一にする上で効果あるもので,犬山13町内の中で唯一のものです.
早瀬吉政
 「彫長」こと六代目早瀬長兵衛.「尾張藩御用彫刻師」としての格式を持つ彫刻師で.江戸の大隅流彫刻と上方流彫刻の接点の地名古屋において,名古屋流ともいえる彫刻の一派を形成した.

水引幕

中山の彫刻「龍」
早瀬長兵衛吉政作
中山欄間の「獅子」
早瀬長兵衛吉政作
方円式の車山の車輪


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