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犬山祭〜眞先(魚屋町)

 車山名「眞先」は,かつて犬山祭に曳き出される13輌の車山の中での一番車山というところに由来しています(現在は当魚屋町から分離した枝町が一番車山になっています.)
 枝町が分離以前の魚屋町には日蓮宗の2寺があり,日蓮宗徒が多く,檀徒の中の有力者が教祖日蓮の木偶を車山に上げたそうです.
 からくりの用具に「日月」と記した垂れ軸と人形が使われおり,日・月・星の三光に因みこの車山は「三光車」とも呼ばれていました.
 6本の乱杭の上を唐子が支えもなく渡り歩いて行くからくりは,安永3年(1774)に竹田藤吉が制作したもので,このからくりの仕掛けは秘伝でした.それを探ろうとして毎年祭のたびに見に来ていたものが,偶然の機会にその仕組みを知り,岩倉上市場の山車が模倣のからくりを作ったと言われます.
 平成9年(1997)には絶えていた前人形を復活しました.

車山の歴史

 寛永12年(1635)に茶摘みの練り物を出したのが起源で,正保元年(1644)からは車山になり,そのときのからくりは「日蓮上人星下りの図」でした.この車山は台車程度のものだったようです.
 元禄2年(1689)に当魚屋町の大工木村伝助によって車山が建造され,延享元年(1744)には伝助の息子源右衛門によって再建されました.この木村父子いずれかによって,今日の三層車山の原型が作られたと思われます.
 そして安永3年(1774)には名古屋の人形師竹田藤吉によって乱杭渡りの唐子を加えたからくりが作られ,これが今日まで継承されています.
 文化2年(1805)には心棒の破損を機に,それまでの車山よりも高さ・巾とも縮小の改造がなされています.以後,幕の造り替えや部分的修理は行われてきましたが,大規模な改造はされず,昭和54年(1979)に総額520万円をかけて大修復がされ,現在に至っています.

水引幕「白澤」
 白澤とは額に三つ,体側の左右に三つ,合計九つの目を持ち,人面の獣身をしています.
 「今昔百鬼拾遺」によれば,中国湖西省東望山の沢に住み,能く言葉を操り万物に通暁しており、治めしめるものが有徳であれば姿をみせたといいます.
 日光東照宮の拝殿にも描かれています.江戸時代には,旅行の護符として,白澤を描いた図を懐に忍ばせれば道中安全の御利益があり,枕元に置いて寝るならば悪夢を見ず,邪気を祓うとも信じられていたそうです.
 また,漢方薬の守護神とされており,安政年間のコレラ大発生の時には辟邪の護符として尊ばれました.

中幕「龍虎」


参考資料:「犬山祭もの知りシリーズ 眞先車編」 魚屋町町内会発行
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