下山の水引は文政4年(1821)制作されたもので,松と鶴があしらわれています.中幕は四神(鳳凰・亀・虎・龍)の刺繍です.
中幕の正面に,この車山のみ大房を掛けていないのは,この中幕そのものが魔除け幕であると昔から言い伝えられているからです.
また,上山勾欄がこの車山のみ朱塗りになっているのは,からくりにちなみ牡丹の赤色をあらわしているともいわれております.
からくりは「石橋」と呼ばれるもので,その後「弁才天石橋獅子」とか「文殊」「獅子牡丹」とも呼ばれましたが,その内容は今日も同じで,人形も当時のものが使われています.
車山の歴史
慶安3年(1650)から鷹匠の練り物を出し,天和3年(1683)には車山が作られました.その後,元禄13年(1700)には踊り車山となりましたが,享保7年(1722)に,枝町・本町と共に踊りは中止され,寛保2年(1742)にからくりの「文殊菩薩人形」を作り車山も三層へと改造されました.
その後も,享和3年(1803)下山の張り出しが作られ,文化12年(1815)には,車輪が新造されております.
また天保13年(1842)には,名古屋末広町の瀬川治助父子によって,上山の鶴・中山の龍・下山の狛犬が制作されており.これは「無双彫り」と言われる彫りの深い作りで,車山の四方を一連として組み合わされています. |
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