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犬山祭〜咸英(本町)

 中山の欄干は紫檀で作られており,これは明治の始めに,はるばる横浜まで出向いて,一万両で購入したものと伝えられています.また,上山・中山のびわ板は堆朱で豪華さを誇り,下山突き出しは山柿と花梨の材です.
 下山の水引幕の鯉・群鶴の下絵は岸駒によるもので,現在の幕は昭和54年(1979)に再製されました.
 車山名「咸英」は,こうした高価な材料を用いて,優れた工芸を施した車山という意味で「すべて秀でる」として,名付けられたものです.
平成11年(1999)からくり人形が,九代目玉屋庄兵衛により修復.

岸駒(がんく) 越前守岸駒.江戸後期の画家で岸派の始祖.山車幕として他に亀崎潮干祭の中切組力神車の大幕・水引幕が有名.

車山の歴史

  慶安3年(1650)に巡礼の練り物を出し,その後,唐人の練り物から.元禄12年(1699)には踊り山となり,提灯踊りや俵踊りなどが演じられました.延享2年(1745)より車山となり,当初のからくりは「七福神」で,その後,安永年間に名古屋の人形師竹田藤吉によって「唐子遊び」のからくりに作り替えられ,これが今日までひきつがれています.
 車山は文化2年(1805)に再造.さらに慶応元年(1865)にも再造され現在に至っています.

水引幕
岸駒下絵による水引幕
下幕
同じく岸駒下絵の群鶴


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