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犬山祭〜絳英(名栗町)

 延宝2年(1674)から大神楽を出し,元禄2年(1689)より車山になりました.からくりは「布袋和尚」でしたが,鍛冶屋町の寿老臺に譲渡し新たに「時平公・管相公」に替わりました.車山は年を経て修復されてきましたが,文政5年(1822)に下山と車輪が作り替えられ,天保4年(1833)には上山・中山が作り替えられました.また,嘉永7年(1854)には下山が修復され,近年では昭和56年(1981)に総額800万円で全面的に修復が行われ現在に至っています.
 現在のからくり人形は明治2年(1869)に名古屋の人形師土井新三郎によって作られたもので,歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」から題材を採り,右大臣菅原道真と左大臣藤原時平,それに唐子を配して演じられます.
 水引は明治8年(1875)に,からくり人形に合わせて冠・笏・軍配・太刀を羅紗地に金糸・銀糸で縫取りされて作られています.
 車山名「絳英」は縫い物がすぐれているところからつけられたと言い伝えられています.

水引幕



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