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豊田市志賀町志賀神社祭礼 |
00/02/14
豊田市役所から4〜5Kmの距離にある山あいに志賀神社はあり,この祭礼に山車が1台曳かれます. 天明5年(1785)にこのあたりで疫病が流行したため、疫病封じに山車を奉納して願掛けをしたことから「願掛け祭り」とも言われます. 土地の古老の話によれば現在の山車は明治の中頃知多郡から買い入れたものと伝えられます. 「男3人にいたるも車を曳く」といわれ,戦時中の男での少ない時でも山車曳きは続けられたそうで,坂の途中にある志賀神社まで難儀をして山車を曳き上げたそうです. 山車の特徴 山車は内輪で前述のように伝承では知多半島(三好という説も)から買い入れた事になっていますが,詳細は不明です. 上山は挙母系など三河に多い6本柱ではなく4本柱のやや小さめの上山で,楫棒も前後に突きだしています. 壇箱など山車彫刻は名古屋の町方彫刻師瀬川治助重定の作で、弘化4年に金箔押しがなされた事が彫刻裏に記されています. |
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前山四本柱の間隔が広く脇障子は存在しません.また蹴込彫刻もなく,その位置は幕で覆われています.これらは鳴海裏方等の山車と同じで,全体の印象も似ていることから何らかの繋がりが考えられます. | ||
台輪の内側に車輪がある. | ||
参考資料 「豊田の文化財」豊田市教育委員会発行・他 |
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