尾張の山車まつりへ [三河の山車館][碧南市大浜地区]

碧南市大浜・中区   

01/05/20

 この碧南市大浜は江戸時代,千石船が出入りした湊町として栄え大浜村と呼ばれていました.ここの稲荷社の祭礼に1台の山車が曳き出されます.同じ碧南市の鶴ヶ崎(東組から譲渡)と同様に,亀崎の田中組神楽車の古車を譲り受けた山車が今に伝えられています.
 組に保存されている「車祭り初り」文書によると,天明8年(1788)に亀崎の成田八兵衛の世話により,鍋田与兵衛が古車1両と水引を3両で田中組より買い受け寄進して祭りが始まったといわれます.
 また文政5年(1822)大がかりな修理が行われ,安政6年には台輪の取替えなどの修理が行われました.

山車の特徴
 山車の建造は彫刻などの装飾物から元禄〜享保(1688-1736)と推定され,現在もほとんど当時のままの姿をとどめた貴重な山車です.
 古い知多型の特徴として,蹴込に彫刻が入っていない.前山の4本柱の間隔が広い.彫刻は彩色・金箔押しがなされた極彩色で,各部材も塗り・螺鈿で覆われている,などの要素を色濃く残しております.



山車彫刻詳細
からくり人形

水引幕

山車後部
 尾張系の山車では殆ど見られなくなった引き戸が現在も残されています.(他には常滑市・大谷の山車などにも見られます)
 現在でも名古屋型や知多型の置台輪の多くは,敷居が残っており,古くはこのように引き戸格子であったようです.
上山
4本柱の支持方法も現在の知多型と異なり,天井には昇龍の天井絵.
上山絵天井
前部蹴込みは彫刻ではなく幕で覆われています.

参考資料
碧南市史・阿久比町史・半田市誌等
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