[三河の山車館]−[刈谷市小垣江] | |
02/02/09更新
小垣江村(現刈谷市小垣江)の神明社祭礼に山車が曳かれるようになったのは,天保年間の頃で,上組・地内組・中組・下組・新田組の5台の山車が曳き揃えられていたようです. その後,明治初期になると山車は廃絶され,これらの山車の消息については不明な点も多く,よくわかっておりませんでした. しかし,平成4年,新田地区の集会所を修復した際に「記録帳」が出てきた事から,以下の事が判明しました. 新田組の山車は,明治10年(1877)に市原(刈谷市)に80円で売却し,その金で金刀毘羅神社の社殿を建て替えたということです. 一方,市原の史料にも明治12年に正木新道(刈谷市正木町)と市原町(刈谷市市原町)が小垣江村より山車を買い入れたとある事から,2台の山車が譲渡されたようです. この正木新道の山車は昭和40年頃まで市原稲荷神社の祭礼に曳かれていましたが,交通事情の悪化により休止されていました.昭和44年頃には,関興業が個人で購入し保管されていましたが,上記「記録帳」によりこの山車がかつて小垣江神明神社の祭礼山車であることが判明し,平成6年に小垣江に寄贈されることになりました. つまり,この山車は実に117年振りに小垣江に里帰りしてきた山車なのです. その後,山車は小垣江新田屋敷を中心とした地区の努力により修復され,平成11年より復活することになりました. なお,この山車は氏神である神明神社祭礼(秋)と,金刀毘羅神社祭礼(春)に奉納されるため,年に2度の曳き廻しが行われます. |
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この地方の山車の特徴である梶棒は後部のみに備わる. | ||
上山迫り上げ部分 | ||
刈谷市原稲荷神社の祭礼で,現在では大名行列で知られています.貞享4年(1687)には山車が加わり大変賑やかな祭りだったようです. 山車は花車と呼ばれ,多いときには本町・中町・肴町・新町・正木新道・市原町の6台が曳き揃えられたといいます.昭和30年代までは大名行列の後を曳かれていましたが,交通事情悪化のため,全て休止・廃絶されてしまいました.
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当ページ作成にあたり,小垣江山車保存会事務局平野安弘氏 に資料・曳き廻し画像等提供いただきました. |
参考資料:「かりや第20・21号」刈谷市郷土文化研究会 「刈谷市史だより」刈谷市,他 |
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