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知立まつり 

04/01/02追加

 知立は江戸時代に東海道39番目の宿場町として、また交通の要衝として栄えた池鯉鮒宿がありました.
 祭りは知立神社の祭礼として5台の山車が曳き出されます.
山車が初めて奉納されたのは承応2年(1653)といわれますが、当時の山車がどのような形態であったかは不明です.(知立市史には底抜け屋台ではなかっただろうかと記されています)
 祭りは本祭と間祭が隔年に行われて、本祭には当ページで紹介している豪華な山車が曳き出され、からくりや人形浄瑠璃が披露され、間祭(あいまつり)では花車が曳き出されます.
この間祭は古来からあったのではなく、昭和初期に始まったものです.
 記録に寄れば、知立神社の祭礼は、市原神社(刈谷市)と隔年に祭りを行ったとあります.現在行われている、本祭と間祭を隔年に行うのはこの名残でしょうか.

山車の紹介(本祭)

宝町 山町 中新町 本町 西町
山車彫刻 山車彫刻 山車彫刻   からくり

 知立の山車(知立型)は2層唐破風造りで、松の輪切りで造られた内輪の車輪とともに、知多型に似た外観ですが、構造や細部は異なります.
 梶棒は山車の後部のみに付き、挙母など三河系の山車の特徴となっています.漆塗り、金箔貼りの彫刻など類似の山車は、名古屋市緑区鳴海裏方祭にも見られます.
梶棒連
 10人で組織され、8名が梶棒に付き、2名が梶見となり山車操作の合図をします.
 山車後方の梶棒を肩で担ぎ上げ、方向を変えたり、山車を回転させたりするのは見所の一つです..

祭宿の「七五三飾り」は各町内毎に作製します.
重さは数十sもあるそうです.
間祭詳細


参考資料:知立市史
知立のからくり(知立市教育委員会)
「知立まつりパンフレット」
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