07.09.03更新

本町組の甕(カメ)

 本町組の山車でひときわ目立つのが四本柱内にある大きな甕(かめ).この甕は次項で取り上げる『甕割』のからくりで使用される大道具である.
現在山車に乗っている甕は昭和49年にからくり人形を修復したときに新たに作られたもので、山車に固定されている.

 本町組ではそれ以前に使用されていた甕を若屋での稽古用に使用しているが、この甕の裏側に次のような墨書が見られる.

『弘化二年己十二月』
『細工人 竹田源吉清可』

竹田源吉は幕末の天保〜安政年間に活躍した人形師で、大阪のからくり一座竹田近江の門弟といわれ、京都から名古屋に移り住んだらしい.
現存するからくりには名古屋市中村区の「紅葉狩車」の『紅葉狩り』、筒井町「~皇車」の『神功皇后三韓征伐』、上野間「越智嶋組」『源氏烏帽子之段』など、物語性の強い題材を得意としていたようだ.
墨書からこの甕が弘化2年(1845)に竹田源吉によって作られたことがわかる.弘化2年は現在の本町組山車建造時期に近く、おそらく人形制作当時からのものと思われる.
また人形本体や他の資料に本町組のからくり人形に関する記述が残されていないため、人形の制作者及び制作年を知る唯一の手掛かりでもある.
大人形、小人形の制作年や制作者も甕と同じく弘化2年(1845)に竹田源吉によって作られたと考えてよいだろう.


旧甕内に記された墨書

 人形は大人形と小人形、そして前棚の前人形の合計3体で、大人形は司馬温公の少年時代を演じ、小人形はその遊び仲間である. からくりのメインは小人形で、ぶら下がり〜甕に乗る〜落ちる〜甕の中から助けだされるといった一連の動きを離れからくりで演じる.