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圓通車と瀬川治助

 横須賀他車のように前棚下に素木彫刻が見られないのが圓通車の特徴で、山車全体が金色の彫刻で占められている.(支輪部の龍は黒漆).
高欄下の支輪彫刻は本町組、公通組八公車や大田荒古組の山車と同様の波龍で治助重定の作であるが、出高欄の張出し幅からやや小振りになっている.
 この支輪彫刻裏面には「尾州名古屋末廣町 彫工 瀬川治助 重定」とあり、治助重定の作であることがわかる.
その他圓通車の大半の彫刻は治助重定の作と思われるが、墨書銘は未確認.またその制作年代も明記されていないが、圓通車の建造は棟札から文政2年(1819)とされるので、山車彫刻もこの前後に制作されたと考えてよいだろう.また治助重光の関与は見られない.

 支輪彫刻の下部に狭間彫刻(幕板)が配置されるのは大門組の山車と同様で、あるいはこれが横須賀型の祖型なのだろうか.圓通車以後に作られた本町組、北町組、八公車は逆に水引幕直上(地覆という部材)の上に支輪彫刻がある.
木鼻状の獅子が山車の前後左右と四隅に8体、前棚にも同様6体の獅子があるが、これは名古屋市緑区有松に現存する名古屋の若宮祭・下玉屋町「布袋車」と同じで大門組山車とともに名古屋型では珍しい装飾である.
犀(サイ)
圓通車の前棚左右の狭間に犀の彫刻がある.犀は霊獣の一種で、水犀や通天犀とも呼ばれ原形はインドサイである.
本物のサイを見たことのない古人が想像を加え変形して伝承された結果このような姿になったのではないだろうか.
唐獅子や麒麟とも似ており、また海馬と紹介している書籍もあるが、この犀には背中に甲羅があることから容易に判別は出来るだろう.また唐獅子にはない頭部の一角も特徴の一つである.
山車彫刻としての犀は早瀬長兵衛(彫長)一派や立川流、彫常らの作品には見られず、瀬川治助の作品でも大田荒古組など一部にとどまり稀少な題材である.

支輪「波龍」

支輪「波龍」の裏にある墨書
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