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山車の順番


平成16年

平成17年
本楽の朝,愛宕神社前に山車が曳き揃えられる.先頭から一番車,二番車・・・と呼ぶ.
特に一番車を『出番車(でばんぐるま)』といい当年の祭りを取り仕切る幹事役となる.この順序は愛宕神社を出発して夕方の大どんてんを経て再び愛宕神社に戻るまで変わることはない.
平成17年は,北町組,公通組,大門組、本町組の順序であったが,翌年は一つずつ繰り上がり二番車の公通組が一番になり出番の北町組は最後尾につくのだ.
本楽の曳行は30分間隔だから先頭と最後尾では1時間半の差である.一番車がどんてん場に到着する頃は四番車はまだ最南端の玉林寺あたりで四番車がどんてん場に着く頃には日が傾いていることになる.

名古屋城下の東照宮祭では七間町の「橋弁慶車」が例年先頭であったという.これは山車の創建が一番古いという由緒からだが,ある時本町「猩々車」から「我が町は名古屋の首町だから猩々車を先頭にしてほしい」と横やりが入ったが決着がつかず、結局隔年で先頭を務めるようになったという.(帰路は逆順)

ちなみに若宮祭では宮本町であり創建も古い末広町の黒船車が常に先頭であった.
知多半島では乙川のように山車の順番は常に固定という地区もある一方で、亀崎では順番は固定されているが東へ向かうときと西へ向かうときでは逆順になる.自組内を通過する際にその組の山車が先頭に立つというところも多いようだ.

かつて横須賀では本楽に早く神社に着いた順に山車を並べ、その順序のまま町内巡行に出発したという.しかしその事が原因で争いごとが絶えなかったようで,いつの頃からか神社前に山車を並べた後(この時点では先着順)に,各組の行司が集まって籤(クジ)を引き,曳き出しの順番を決めるようになった.
これは昭和三十年代後半(正確な年次をご存じの方はご教示いただきたい)まで続き,その後現在のような順にローテーションをする順送り方式に変更されて今に至っている.
この順序は一説には籤で決めた順番が本町組,北町組,公通組,大門組になる確率が高かったからだというが,単に北(東)から並べただけのような気がしないでもない.

籤で曳行順を決める事で有名なのは京都祇園祭の山鉾巡行で、「籤(くじ)取り式」によって巡行順を決めている.先頭の「長刀鉾」や最後尾の「南観音山」など8輌は『籤取らず』といって順番は固定されている.

平成18年は旧に復し再び籤引きによって山車の運行順を決める事となり、7月の土用干しの日に籤引きが行われた.
出番車を除いた他の3車で籤をひいた結果、公通組・大門組・本町組・北町組の順に決定した.
しかし不思議なことに、これは今まで行われてきた順送り方式と同じ結果なのである.
単なる偶然なのだろうか、それとも言い伝えである確率が証明されたのか、偶然も2〜3年続けば偶然ではなくなるのだが...

よそから横須賀まつりを見物に来る人で,神社前に山車を曳き揃えるところを見ることはほとんどないだろう.それは各組早朝に山車蔵を出て神社前に曳き揃えるからであるが,囃子を奏しながら集結するから早朝にもかかわらずにぎやかである.
地域住民の理解が得られなければ訴訟問題になりかねないだろう.
また本町組は神社前に山車蔵があった頃は,一旦若屋のあった自町内(愛知銀行辺り)まで曳いていき再び神社に曳き揃えていた.
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