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祭礼日

横須賀まつりは毎年9月第4土・日に行われるが、「28日より前の」という条件付きである.これは従来9月27日試楽祭、28日に本楽祭を行っていた名残である.当時小学校は27日が午前中で下校、28日は臨時休校だったように記憶している.
知多半島中南部では圧倒的に春祭りが多いが、名古屋に近い北部(東海市、大府市)は秋に祭りが行われるところがが大半である.その先陣が横須賀まつりなのである.

「尾張年中行事絵抄」など江戸時代の資料には8月24日が祭礼日だったと記されている.これは旧暦であるから現在行われている時期と大差ないだろうか.
名古屋東照宮祭や、若宮祭など「15日」前後に祭りが行われる例は数多い.15日なら満月であるから月明かりで夜も明るい.今時の都会と違って街灯のない江戸時代なら尚更だろう.反対に宵闇に包まれる1日前後に行われる祭りもある.

    大門組買帳
昭和20年9月は終戦の日から約1ヶ月後のこと.あらゆる物が枯渇していた頃だろうが、ドブ酒(ブドウ酒の事だろう)、缶詰、酒、カニなどを買っている.

   本町組役割帳
楫方の役割を記した帳面で、例年通り名簿は記載されているが、末尾に中止の文字が記されていた.
ではなぜ横須賀は「24日」だったのだろうか.何とも中途半端な月齢で、下弦の月よりやや痩せた月の欠け方である.
夜の曳き分かれで、旧ミカドの角を曲がったあたりから街灯も少なく、道幅が狭く随分と減らさざるを得ない提灯の灯り.
平成17年の祭礼9月25日は旧暦8月22日であるから、思い出したらちょっと空を見上げていただきたい.微妙に照らす24日の月明かりの真意がわかるかもしれない.

伊勢門水の「名古屋祭」という本に『名古屋祭りの雨天順延と云ふ事は古来よりの習慣で別に不思議にも思わぬが地方の人が聞くと異様に感じるそうな〜』とある.現代では曳行コースに関し警察の許認可の必要があり、またサラリーマンが多くなって「雨が降ったら翌日まで待つ」などと悠長な時代ではなくなったが、半田市亀崎の潮干祭は今でも雨天予備日を設けている.
横須賀まつりも以前は雨天順延だったようだが、現在では日程の繰り延べはない.しかし他地区であれば必ず中止になるような天候でも山車を曳き出してしまうことがある.山車や幕などの装飾品、からくり人形にとって良いとはいえないのだが.

また横須賀には『本楽祭に提灯点灯(献灯)を行わないと天変地異が起きる』という言い伝えがある.大どんてんが終わり愛宕神社に戻った山車はそこで提灯を飾り付けるのだが、雨で提灯を飾れない場合、翌日以降に持ち越して天候の回復を待ったのだという.
これも今のご時世にはそぐわないので、提灯を飾れない天候の時には形式的に山車蔵の中で提灯に点灯することになっている.

横須賀の祭り自慢に戦争中でも祭りを止めなかった事を挙げる人は多い.組に残された祭礼帳を見ると、確かに連綿と途切れることなく祭りは続いているのだが、明治以後に例外が2度ほど見られる.
一つは明治天皇崩御の年(明治45年)と伊勢湾台風の襲来した年に中止となっている.天皇の存在が現在の意識とは比べものにならなかった時代の事ゆえ歌舞音曲の類は自粛したのだろう.しかしその翌年は祭礼とは別に「大正天皇即位奉祝記念」として山車を5輛曳き揃えている.
伊勢湾台風は今さら述べる必要もない周知の事実で、この地方に未曾有の被害をもたらしたのは折しも祭礼の前日だった.山車蔵も倒壊せず、山車は台輪が一部水没した程度だったが、横須賀の町は甚大な被害を被ったことから、さすがにどんてんにうつつを抜かす訳にはいかなかったのだろう.
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