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寺本八幡神社の山車

 町方成立以前の昔の事だが、大門組内の元宮の南、藪村(現東海市養父町)との境に川が流れていた.現在本町組域の南にある高横須賀の出郷である植松は堤防決壊に備え松を植えたのがその地名のいわれという.
この川は御殿造営の際に光友公の命により暴れ川から町方を護るため流れを変えさせたのだが、これが現在東海市と知多市の境を流れる信濃川である.

 この信濃川の近くに鎮座する尾張八幡神社は古くより寺本四箇村の総鎮守で、今も盛大な祭りが行われている.この八幡神社に宝暦5年(1755)に描かれた『八幡宮祭礼式の図』が残されている.
傘鉾と警護の人々が百数十名描かれているのだが、先頭の獅子舞に続き山車が3輛曳かれていることに着目したい..山車は輪懸こそ描かれていないが前棚などから名古屋型に近く、山車の上山にはからくり人形が描かれているが、からくりの演題やどの地区jが所有する山車なのか不明である.
1輛目は唐子人形が2体戯れているから唐子遊びだろうか.3輛目は恵比寿が鯛を釣り上げている様が描かれているが、いずれの山車も前人形(采振り)がないのが奇妙である.

 そしてここで注目したいのは2輛目に描かれている山車で、上山に1体の神官人形があり、隣に三宝に載った瓶子が置かれ、背後には松がある.からくりの子細は不明であるが、1体の人形で見せるからくり演技の代表作は社(やしろ)などへの変身ものである.
変身からくり、三宝に載る瓶子、上山の松、前人形のない前棚.大門組の山車と結び付けるのはいささか強引ではあるが、町方の近在でこのような山車が存在したことは事実.

 この八幡神社の山車3輛だが理由は不明だが現在は存在せず、地元の伝承も無い.安政年間には既に獅子屋形4台に替わっていたというが、現在も軽トラックに積んだ屋形で祭礼行列が行われている(未見だが機会があれば訪ねてみたい)

 神官山車が姿を消した時期と、大門組の山車まつりの創世期に時代的な矛盾はない.大門組山車が町方の他4輛の山車と比較して時代的な相違点が多いことや山車運行に違いがみられる事.推察の域を脱せないのが無念だ.

3輛目

2輛目

1輛目
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