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公通組2輛の山車 |
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大正13年(1924)に八公組と圓通組が合併した.現在の公通組の誕生である. 『我が町我が故里のまつり<どんてん>』(森俊夫著)によれば、圓通組は数軒の蔵元(造り酒屋か)で組織され山車を保有していたのだが、その衰退により運行が出来なくなったのだという. これ以後旧八公組が所有していた「八公車」と旧圓通組の「圓通車」を隔年ごとに交互に曳き出して祭礼に参加することになるが、尾張地方で1つの組(町内)で2台の山車を維持管理している例はない.全国的に見ても希有な例ではないだろうか.
山車の維持管理には相当な資金と労力を必要とする.八公車、圓通車ともに建造から200年近く経ており山車は常にどこか修理の必要がある.また、山車蔵、山車幕類の装飾品も2セット必要となるので負担は他組より大変だろう. からくり人形は八公車、圓通車ともに旧八公車の人形(倒立唐子2体と前人形)を使用していたが、旧態に戻すべく平成12年に圓通車に弓入りのからくり人形を復元している. こんな逸話がある. あるとき組の合併に際し山車は2台いらないから1台は売ってしまおうという寄り合いがあったという.大方話しがまとまった頃、近所で火事が発生したのだという. 燃えさかる火炎は、山車蔵もろとも山車を飲み込む寸前でようやく火事は鎮火したのだと. 誰が言うともなく『愛宕さんは火防(ひぶせ)の神様だで、神さんがお怒りになったのだろう』と.... それで、山車売却の話は立ち消えになり、現在も2台の山車を持っているのだという. 真偽の程は定かではないし、良くある話だが、神様を前面に出せば皆納得してしまうのである. 或いは、圓通車と八公車いずれも愛着のある自慢の山車、甲乙付け難くいずれを手放すか、結論が出せなかったのだろうか. 「ええぃ、2台持っていれば誰も文句ないだろう」と居直ったかどうかはわからないが、公通組は現在も2台の山車をお世話をしているのは事実. |
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