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山車の幅1 |
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狭いといっても、一般的な名古屋型と比較してであって、知多型を含む知多半島の山車で比較すれば決して狭くはない. 山車の優劣(価値)はその大きさで決まるものではないが、町(組)の象徴として、より大きく・豪華で見栄えよくありたいと願うのも自然な考えである. だが、現実に山車の大きさは、その町の道幅によって最大値が決まってしまう.当たり前の事なのだが、道幅より幅の広い山車では曳く事は無理であるし、あまりに長すぎる山車では角を曲がる事すらままならない. 一つの策として、岩倉や有松のように往還や街道筋のみ曳く事を条件に、大きな山車を導入するのも一つの手段だが、それでは町内を隅々まで曳き廻す楽しみがなくなってしまう. では、横須賀の町と山車が通る道を考えてみよう.一番広い道路は市道元浜線だろうか.ここは昔は海辺だったところで、山車が曳かれるようになったのも最近のこと. 横須賀町交差点(昔は伝馬町といった)を中心に南北に伸びるのが国道155号線.往還本町と呼ばれ、明治の終わり頃まで、紺屋や木綿問屋、酒の蔵元、旅籠屋、料亭などが軒を連ねていたという. そして横須賀町交差点から東に延びる現国道247号線も本楽の曳行順路であり、この2本の道路は昔から大府や名古屋・常滑方面への街道であった. 現在ではこれらの道路で山車がすれ違うことが出来るが、山車の造られた江戸時代末期には今ほど広くはなかったはず.荷車・馬車がすれ違える程度の道幅だったのではないだろうか.
旧町方の碁盤割地域(中道)に入ると道は一気に狭くなる.整然と区割りされた町並みだが、名古屋城下の上町(うわまち)のように広くなく、町域も道路も規模は小さい. 5台の山車はこの旧町方内にあり、山車の大きさも狭い碁盤割りの道路を隅々まで曳かれるように造られているのは云うまでもない. 横須賀の山車が標準的な名古屋型の山車に比べ幅が狭いのはこのためである. なかでも、大門組の山車は他の4台より更に小振りであるが、これも道幅が関係しているように思われる.「元宮」の項で述べたが、大門組の山車は玉林寺の脇を通って愛宕神社の元宮まで曳く. この道筋は現在でも輪懸が塀に擦れんばかりのゆとりのない道筋で、他の山車では元宮に行くことが出来ない. 大門組の山車が大きく出来ないのは、このためではなかったろうか. 横須賀の山車が道路幅の関係で幅広く出来なかった事はお判りいただけただろう. 次項では、このように幅の狭い山車を大きく見せる工夫を考える. |
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