尾張の山車まつりへ [どんてんぐるま]−[祭りと山車の起源,建造時期4]

  祭りと山車の起源,建造時期4

・本町組山車
 右の棟札が本町組に保存されている.年号など一部判読出来なかったため、これまで資料対象から除外していたものである.
 今回赤外線写真により年号部分が文政8年(1825)と解読されたことにより、前項で天保13年(1842)としていた本町組山車の建造時期を再考する.

 文政八■■歳     執行師
奉謹行地鎮祭五方神敷地安鎮守■所
 八月吉曜日      産宮神主
 この札に「山車蔵」「車蔵」等の記述はないが、本町組山車蔵の地鎮祭に関係する木札かと思われる.

 本町組の山車蔵の変遷は、北町組の『紀年山吹神事係事務所増築記』と本町組に残る『車庫改造記』によると下記の通りである.
・元治元年(1864)愛宕神社境内に北町組・本町組車蔵建設.
・大正11年(1922)坂正臣氏の寄進地(現北町組山車蔵所在地)に移築.
・平成13年現在地に移転新築

 本町組山車の建造が天保13年であるなら、元治元年以前にも何らかの蔵が存在したはずである.
それを裏付けるあかしが「横須賀町方絵図」にみられる.この絵図が書かれた年代は不明であるが、愛宕神社東方に「車屋」と書かれ丸で囲んであるのがそれである.
 横須賀町史にも、本町通り山松蒲鉾店の北に常夜灯と本町祭礼山車の小屋があったと書かれている.

東海市史より
 この木札が愛宕神社東の「車屋」のものであるのか、あるいはさらに別の場所にあった山車蔵のものであるかは検証出来ない.
しかし、本町組以外の北町組山車・大門組山車・圓通車・八公車いずれも文化・文政期に山車を建造もしくは改造している事を加味すれば、本町組が文政8年には既に何らかの山車を保有していたとも考えられる.

 本町組で判明している年号をあげてみると、下記のようになる.[]は山車形態の類似する北町組の同内容の年号である.
・文政8年(1825)または、それ以前から山車保有[文化11年(1814)]
・天保13年(1842)瀬川治助重定の支輪彫刻追加[文政10年(1827)?]
・弘化3年(1845) 竹田源吉のからくり人形制作[安政年間(1854〜1859)]
・嘉永2年(1849)瀬川治助重光の玉川彫刻追加[元治元年(1864)]

 あるいは、文政8年当時の山車を廃し、天保13年新たに山車を再造した可能性も否定できない.
何分資料が断片的であるので、ここで本町組山車の建造時期を文政8年と断定はしないが、天保13年以前にも山車があったことは間違いないようである.
Copyright(c) 1998-2003 nova OwarinoDashimatsuri All right reserved
尾張の山車まつりへ 先ほどのページに戻ります [横須賀まつり][どんてんぐるま][祭りと山車の起源,建造時期4]