尾張の山車まつりへ [横須賀まつり][どんてんぐるま][脇障子]

脇障子


写真1 中村区「二福神車」

写真2 出来町「河水車」

写真3 本町組

写真4 本町組

写真5 中川区「牛頭天王車」
 名古屋型で前人形が乗っている部分を前棚と呼び、前方と側面が高欄で囲われている.
この高欄の後端、つまり山車本体に接続する部分は、前棚が出高欄のために段差が出来てしまう.その為大半の名古屋型はここを刎高欄として段差を逃がしている.(写真1)
 少数だが、高欄の架木や平桁が直接柱に固定されている山車もある.(写真2)
これは名古屋出来町の河水車や有松の布袋車など建造年が古い山車に見られ、出高欄になっていないので段差が生じないためである.

 これを横須賀型に当てはめてみると、2階部分と前棚の出高欄の割合が大きく異なっている.
上山の張り出しが大きく、前棚のそれはごく僅かなので、通常の名古屋型のような処理では、バランスを欠くことになる.
そのためだろうか、横須賀型の山車は、この部分に彫刻を充填することで、段差を受け止めている.(写真3)
 写真4は参考の為に、この彫刻を外した姿だが、この彫刻の役割がよく理解できるだろう.
彫刻の代わりに擬宝珠高欄で受けているのが、名古屋市中川区の「牛頭天王車」(写真5)だが、これは例外だろう.

 彫刻は瀬川治助作の彫刻と推定されるが、銘はない.本町組山車は支輪彫刻の波龍に合わせ「波」.
公通組圓通車・八公車・大門組山車は、瀧状に水が下に流れ落ちる様が彫られている.
大門組のそれには木の葉に止まる鳥や、魚が見えるが、瀬川ではない可能性もある.
北町組の山車には「竹に雀」が彫られているが、これも他の山車とは趣が異なり、彫り筋に違いが見える.

 この位置の彫刻は横須賀型以外では例がなく、特に部材名も決まっていないようだが、便宜上「脇障子」と呼ぶことにする.
(脇障子は社殿など回廊の左右の行き止まりに置かれる仕切のことで、知多型山車の前壇の左右端の彫刻も同じ趣旨から脇障子と呼ばれている)

本町組

北町組

圓通車

八公車

大門組
Copyright(c) 1998-2003 nova OwarinoDashimatsuri All right reserved
尾張の山車まつりへ 先ほどのページに戻ります [横須賀まつり][どんてんぐるま][脇障子]