08.07.17修正

愛宕神社縁起


愛宕神社


文化4年の常夜灯

愛宕神社の板額

愛宕神社の始まりとして次のような伝承がある.
天正から文禄の頃(1573〜1596),馬走瀬村の坂徳兵衛の下女が,ある日突然神がかりして口走ったという.
「私は京都・愛宕の神である.今よりこの地の守護神となるので,迎え祀るように」
徳兵衛の舅である坂三郎太夫正家は,京都に徳兵衛を遣わした.そして愛宕神社に参拝させ神像を奉戴,小さな社を築き産土神としたのが愛宕神社の始まりという.(東海市の昔話より)
一説には慶安2年勧請ともいう.(永代記より愛宕社抜書)

また,上記正家から6代目の子孫の横須賀町方商人坂正盈(1707-1775)は,愛宕神社が玉林斎に隣接しており葬列が神前を行き交う事は恐れ多いと,寛保2年(1742)扇島の松林(現在の地)へ移座すべく次のように寺社奉行へ出願している.
『愛宕神前毎々死人通り穢敷殊ニ火元用心悪敷』
火元用心とは享保17年(1732)の大火をさすのだろうか.翌寛保3年(1743)現在地に移座が行われた.

 祭神は迦倶土神(天之迦倶土命あめのかぐつちのみこと)であり火伏せの神.境内には天満社,秋葉社,恵比須社,金比羅社,山神社,国龍大神,英霊社,津島社が祀られている.
 境内には横須賀町方の繁栄の証であろうか,寄進の石灯籠などに文化・文政・天保期頃の年号が多く目に付くが,明治以後は意外に少ない.

 境内の南東隅にある一際大きい常夜灯は文化4年(1809)建立の立派なもの.かつては本町通の北端に本町組の山車蔵と一緒にあったという.明治の末頃までは本町の各戸が交代で毎夜点灯に行ったそうであるが,その後現在地に移転されている.

拝殿正面に掛かる「扇島」の額は上でも述べた坂正盈の書.
扇島とは,この愛宕神社から西の一帯が,干潮になると,海に大きな扇形の州が現れるので扇島と呼ばれていたことに因んでいる.かつて海水浴場だったところでもある.