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八公の官員さん2
木箱には官員さんの衣装一式が納められていた.官員さんから信長に変身させられ不要になった衣装である. 職業を類推するヒントは,その衣装類の中にあった. 帽子の記章を詳しく観察すると刺繍された「桐」と真鍮製の「車輪」.この車輪はスポークやバランサーなどから明らかに汽車の動輪であろう. この記章は現在のJRのものと酷似している.官鉄→国鉄→JRとデザインは受け継がれてきたものだろう. となると,この官員さんは鉄道省(官鉄)の職員であったのだろうか.知多半島を縦断する武豊線は東海道線を敷設する資材を運ぶために出来た線であるので,歴史は古い ただし,服は3着出てきたが帽子は一つしかなかった.明治10年当時のものかどうか確定は出来ないので,後に手近にあった適当な帽章を流用したものかもしれない事をお断りしておく. 鉄道関係の職業も可能性としてはあるのだが,知多半島西海岸の横須賀としては東海岸の鉄道は親近感に乏しい. そこで,一つの推理として「南郡総管所」をあげてみた(あくまで推論であるからお聞き流し願いたい) 「南郡総管所」とは明治維新の際に「横須賀代官所」を廃し「南郡総管所」を新たに置き,千数百の兵を駐屯させたという(横須賀町史) その長だったのが志水忠平で,人望が優れ後に名古屋市長になった人物でもある.この総管所は翌年「南郡宰方」と名を変えるが,ここの吏員或いは志水忠平その人が官員さんのモデルではなかったかと. 年代,地域性ともにうってつけではあるが,根拠は何もない. 明治初期の黒制服金ボタンにサーベルという様相から想像すると,いかつい顔に「ヒゲ」が思い浮かばないだろうか. 現実にはこの官員さん,愛くるしい顔にはヒゲがなかったのである.(信長に変身したときにヒゲは生えた) むしろ子供のようでもある. この官員さんの衣装は伊藤呉服店(現松坂屋)のオーダーメイドだった.庶民には着ることの出来なかった,高嶺の花の高級品であったかもしれない. |
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