尾張の山車まつりへ [どんてんぐるま]−[屋根と電線]

  屋根と電線


同盟脇のどんてん場の空も例外でなく
多くの電線が張り巡らされている
 横須賀に山車が登場した当時は,当然ながら我が国に電気はなく電柱・電線なる無粋なものもなかった.
 今では電力の他に電話線,有線放送,ケーブルTVなど空を見上げれば色んな電線が縦横無尽に張り巡らされている.(以下これらを総じて電線と総称する)

 電線は山車の運行にとって邪魔物ではあるが,日常生活にとって必要不可欠なものである.無くしてしまうことは出来ないが,地域によっては地中に埋め込まれていることもある.
だが,横須賀を含めてほとんどのところは,そのような事はされていないので,山車の運行範囲の道路は一定基準より高く張ることによって対処している.
 さらに祭りの1週間前には保存会で曳行経路の電線チェックが行われ、安全に運行出来るよう注意が払われている.
 それでも,邪魔になる電線は山車の方で避けなければ仕方がなく,山車屋根に引っかかりそうな電線を道具で押し上げて前に進んでいる.
 この道具は各地でいろんな形があり,T字状の大きなものを使ったり,地上から長い竿を延ばして電線を押し上げているところもある.
 横須賀のものは竹竿の先に小さな二叉を付けたもので,電線係はこれを片手に持ち,反対側の手は四本柱を握って体を支えながら器用に電線を持ち上げる.
下から見ていると簡単そうだが,足場の悪い山車の上での片手操作は思いの外大変らしい.特にツノ(鳥衾)が突き出ている横須賀の山車は常に気を抜けないのである.

 北町組山車の内部に板書きが打ち付けてある.昭和18年に屋根を落としたので翌19年に修理したという記録なのだが,昭和18〜19年といえば,太平洋戦争真っ只中で,日本の旗色もかなり悪くなっていた時期である.
出征する人々も多くなり,知多半島でも人手が足りず山車を曳きだせなくなった地区も多かったようである.祭りどころではなかったことも想像に難くない.
 ところが,ここ横須賀では戦時中も休むことなく祭りを続けている.今あるどんてん馬鹿の父であり祖父たちであろう.
 そんな時期に北町組は屋根を落としてしまったのである.
この板書きからは詳しい事情は判らないが,わざわざ山車内に掲げてあるからには軽傷ではなかった筈である.翌年には修理され「大東亜戦争必勝祈願」とし、無事祭りに登場している.

<参考> 横須賀のまつりは戦時中も含め連綿と続けられてきたのだが,過去明治天皇崩御と伊勢湾台風の年にはやむなく中止となったという.
 特に昭和34年の伊勢湾台風は横須賀も多大な被害を受け,祭り前日の台風襲来ということもあって正式には中止だったのだが,北町組は山車を少しだけ出したという.
※参考
地上から電線を持ち上げる例: 出来町、半田
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