元宮
愛宕神社元宮
元宮に奉納する大門組山車
宝暦3年の銘がある手洗鉢
愛宕神社前から南に向かう道がある.この道(中町筋)は愛宕神社を起点にほぼ真っ直ぐ南に伸びており、東西に狭い道が何本も交差している.これが横須賀御殿造営と同時に築かれた碁盤割りであり横須賀町方の町域である.
知多半島でこのような碁盤割りはここだけであるが,かつての面影を残す町屋は,残念ながらほとんど残っていない.
この中町筋がT字状に突き当たったところに玉林寺がある.本楽に巡行する山車はここを右折していくのだが,辻は狭く山車運行での難所の一つである.同盟書林前の大どんてんに比べ,目立たないのだが隠れ見物ポイントである.
この辻を逆に左に折れると,道は更にクランク状に折れ曲がって続いている.道の左側は玉林寺の塀があり,右側は民家が立ち並んでいて非常に狭い.
試楽の日に大門組の山車がここを通って養父町との境近辺まで進む.楫さばきは見所のひとつだろう.(物理的に大門組の山車以外は通ることは出来ないのだが)
現在東海市と知多市の境(養父と寺本の間)を流れる信濃川は,かつて植松からこの辺りを流れていたそうである.それを横須賀町方碁盤割り整備の際に信濃川の流れを現在のように替えたとのこと.
ここに小社があり、鳥居の奧の土盛りした上に祠が二つ見える.一つは愛宕神社の元宮で,もう一つは秋葉社である.ここで大門組の山車は三番叟のからくりをそれぞれに計2回奉納する.
横須賀の山車が愛宕神社以外の社に奉納する唯一の例である.
余談だが,愛宕・秋葉の神徳は双方同じ火伏せであるのが面白い.
この元宮は天正から文禄の頃(1573〜1596)初めてここに愛宕神社を勧請して鎮座した地だったが,寛保3年(1743)に現在の扇島に遷座したため,元宮となったものである.
「大門組」の組名はこの愛宕神社(元宮)にあった「大きな門」が由来しているのかとも思ったが、東西19間南北6間というから社域は広くはなかったようである.それでは玉林寺の大門なのだろうか.
(大門は「だいもん」と読む.「おおもん」ではない)
元宮には宝暦3年の手洗鉢が残っているが,これは移座後に寄進されたものであろう.敷地内には倒れ埋もれた古い石灯籠などがあるが年号は確認できなかった.
近くに明治43年に建てられた坂広雄の歌碑がある.坂広雄は天保11年町方に生まれ,書や歌を良くした愛宕神社の神官だった.
歌碑の書は,彼に養育され,後に宮内省御歌所の主事にまでなった坂正臣が記している.