尾張の山車まつりへ [どんてんぐるま]−[山車の建造時期2]

  祭りと山車の起源,建造時期2

・北町組山車
山車の框に文化戌歳(文化11年=1814)8月吉日村瀬佐吉」と墨書されているという.また,文政10年(1827)山車新造とあり,この年までに山車は完成したのであろう.
『紀念山吹神事係事務所増築』には元治元年(1864)に山車塗立として大工、彫刻師(瀬川治助重光)、塗物師、金物師、箔師など多くの名がある.かなり大がかりな山車改修だったのだろうか.瀬川治助重光の名があるので,この時期に前面壇箱の「老松」は追加されたのだろう.
「山車塗立」をそのまま解釈すると,山車建造から塗立まで50年を費やしたことになる.
 名古屋型の山車は漆塗,箔押されるのが普通で,素木(しらき)で曳かれていた山車を50年後に漆塗りする事は一般的ではない.素木の名古屋型山車も名古屋市中川区戸田や郡部などの農村部には見られるが,町方の山車としてはそぐわないだろう.

北町組「紀念山吹神事係事務所増築」記
 解釈の難しい記述であるが,山車の改造による再塗りと考えるなら50年は妥当な期間だろう.
この『紀念山吹神事係事務所増築』は昭和9年に書かれたもので,数種の墨書を纏めたものと思われる.

 倒立からくり人形はこの元治元年より10年ほど前の安政年間の作である.

この本町山車と北町山車は,兄弟山車ともいえるほど山車寸法など近似しており、彫刻師や構成の類似点も多い.あるいは本町組山車の建造年がもっと遡ることもあり得るのではないだろうか.
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