尾張の山車まつりへ [どんてんぐるま]−[山車の建造時期1]

  祭りと山車の起源,建造時期1


鳴海の傘鉾車

尾張年中行事絵抄
 横須賀の山車の起源,つまりいつ頃から山車が曳かれるようになったのか,また建造時期を明確に記した資料は残されていない.伝承や断片的な墨書などで推定するしかないのである.

宝暦5年(1755)の「尾陽村々祭礼集」
『愛宕祭礼鳥居先より二町間傘鉾二十本木綿幟二十本提灯四十右三品置,祭日八月二十四日,右一社同村祠官坂近江守扣』
とあり,この頃は傘鉾まつりだったことがわかる.
この地方の祭礼が多く描かれている内藤東甫によって書かれた「張州雑志」には愛宕神社の祭礼は触れられていない.
高力猿猴庵の書いた「尾張年中行事絵抄」には.藪村(現東海市養父町)の西浦虫供養が詳しく何ページにも渡って絵が描かれているが,愛宕神社の祭礼は以下の1行のみしか記されていない.
(八月)廿四日,知多郡横須賀村,愛宕祭。傘鉾,ねりもの渡る。
 ただ,この「尾張年中行事絵抄」が出版された頃には,横須賀の祭りにも山車が登場していた可能性もあるのだが.
傘鉾祭りの次第も不明である.大高(名古屋市緑区大高町)の氷上姉子神社では現在も傘鉾が祭礼に登場しており,鳴海表方(名古屋市緑区鳴海町)では車輪をつけた傘鉾車が残されている.
 このように,横須賀の山車が史実に現れた記録は残されていないので,山車の起源を特定することは,今のところ不可能であるが,判明している年号などから山車の建造時期を類推してみる.


支輪に彫刻がない大門組山車
・大門組山車
古い水引幕が寛政6年(1794)に作られたらしいが、確認出来ていない.文化5年?(1808)に瀬川治助重定による壇箱「六玉川」がある.
全体的に簡素で、横須賀の山車の特徴である支輪彫刻が見られないことから,建造時期は横須賀5台中で一番古いと思われる.

・公通組八公山車
文化2年(1805)の建造らしいが,詳細は全く判らない.からくり人形は嘉永6年(1853)5代目玉屋庄兵衛の作.

・公通組圓通山車

山車蔵の棟札に「文政二午歳・・・奉再建祭禮車併土蔵」とあり文政2年(1819)に再造されたといわれる.山車が再建というからには旧車があったはずで、はたして初代圓通山車の創建はいつ頃だったのだろうか.文政2年より遡ることは間違いないが詳細は不明である.

圓通,八公,大門組の山車は名古屋から買ったとの説もあるが,いつどこから買ったのか,あるいは横須賀で建造されたのかも不明である.
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