08.05.17修正

横須賀まつり関係年表

天正・文禄(1573〜1596)頃愛宕神社勧請
1610 慶長15年 名古屋城築城開始(清洲越)
1620 元和6 名古屋東照宮祭に「橋弁慶車」登場
1650 慶安3 徳川光友,尾張2代藩主となる
1664 寛文4 光友,横須賀御殿の造営を命ずる
1666 寛文6 横須賀御殿完成.
1675 延宝3 馬走瀬村が横須賀町方となり,上横須賀村は高横須賀村と名を変える
1685 貞享2 生類哀れみの例
1700 元禄13 光友没
1715 正徳5 横須賀御殿取り壊される
1728 享保13 細井平州,平島村(現東海市荒尾町)に生まれる
1730 享保15 徳川宗春,尾張7代藩主
1732 享保17 横須賀大火.享保の大飢饉
1739 元文4 宗春蟄居
玉林斎(現玉林寺)本堂再建
1743 寛保3 愛宕神社,元宮から現在地に移る
1765 明和2 方間舎楓京,大教院の琴弾松下に「八公石句碑」建立
1782 天明2 大田荒古組山車建造
1783 天明3 横須賀代官所設置
1794 寛政6 大門組山車建造?
1800 寛政12 徳川斉朝,尾張10代藩主となる(祭好きの殿様)
1805 文化2 八公組山車建造
横須賀代官所廃止,鳴海代官所支配となる
1806 文化3 知多新四国八十八ヶ所出来る.
1808 文化5 大暴風雨
1810 文化7 この頃大門組前棚高欄壇箱彫刻「六玉川」瀬川治助重定制作か?
1811 文化8 横須賀代官所復活
1816 文化13 大田里組山車再造(改造?)
1819 文政2 圓通組山車と山車蔵再造
1826 文政9 大田市場組山車購入
1827 文政10 北町組山車建造
大田黒口組山車再造(改造?)
1835 天保6 八公組水引幕新調
1841 天保12 天保の改革
1842 天保13 本町組山車建造.彫刻「四君子」瀬川治助重定
1846 弘化3 本町組甕割からくり.竹田源吉
1849 嘉永2 本町組壇箱彫刻「玉川」瀬川治助重光
1853 嘉永6 八公組からくり人形制作.5代目玉屋庄兵衛
1853 嘉永6 ペリー浦賀来航
1854 安政元 安政の大地震
1864 元治元 北町組山車蔵建造.山車塗立.壇箱「老松」瀬川治助重光
亀崎東組「宮本車」壇箱を瀬川治助重光制作
1868 明治元 明治維新.横須賀代官所廃止し,南郡総管所設置
1869 明治2 横須賀村,横須賀町方,藪村合併し龍岡村となる.
この頃加木屋村の山車3台廃絶
1877 明治10 八公組前人形「官員さん」制作.5代目玉屋庄兵衛
1880 明治13 本町組水引幕新調.伊藤呉服店
大田荒古組山車改造
1882 明治15 龍岡村再度分裂.横須賀村(旧町方),高横須賀村,養父村に
1886 明治16 武豊線開通
1887 明治20 扇島に尋常小学校設置
1888 明治21 坂正臣,宮内省御歌所に奉職
1889 明治22 横須賀村が横須賀町となる.
1891 明治24 濃尾大地震
1897 明治25 大府街道開通.坂正臣,内親王の書道教授
1906 明治39 横須賀町,太田村,高横須賀村,養父村合併し横須賀町となる
1908 明治41 この頃高横須賀諏訪神社の山車廃絶.
1912 明治45 横須賀に初めて電灯がつく.
名古屋伝馬町〜新舞子間に鉄道開通,尾張横須賀駅開業
1913 大正2 横須賀中町大火(14戸全焼)
横須賀郵便局(植松)で電話交換業務開始
1916 大正5 町内に電話開通(30回線)
1918 大正7 新潟県に端を発した米騒動が横須賀にも.8月14日夜玉林寺に群衆が集まり米商人を襲う.
1922 大正11 本町組・北町組山車蔵移転(愛宕神社内より)
1924 大正13 八公組,圓通組合併し公通組となる.