本町組常夜灯西面 |
本町組常夜灯東面 |
■愛宕神社の祭りについて
愛宕神社の祭礼に、いつから山車が曳き出されるようになったのか、残念ながらその記録は残されていません.
宝暦5年(1755)に尾張地方の祭礼を調査した記録「尾陽村々祭礼集」には
『愛宕祭礼鳥居先より二町間傘鉾二十本木綿幟二十本提灯四十右三品置、 祭日八月二十四日、右一社同村祠官坂近江守扣』
と記されています.
文政年間?に書かれた高力猿猴庵の「尾張年中行事絵抄」には、次の1行のみ記されています.
『(八月)廿四日、知多郡横須賀村、愛宕祭。傘鉾、ねりもの渡る。』
いずれの資料も祭礼は旧暦8月24日に行われ、傘鉾の出る祭りだったことが記されていますが、山車に関する記述はありません..
また、「張州雑志」(内藤東甫)や尾張名所図会(天保12年・岡田啓他)には愛宕神社の祭礼は触れられていません.
この「尾張年中行事絵抄」が出版された頃には、横須賀の祭りに山車が登場していた可能性がありますが、必ずしも記録に残っていない事=山車祭りが行われていない、とは限りません.
愛宕神社の祭礼が広く知られる祭りの規模でなかったのは確かでしょう.
有松(名古屋市緑区)の傘鉾と美濃市の傘鉾(写真右)
では傘鉾祭りの起源ですが、これもわかっておりません.前述のように「尾陽村々祭礼集」と「尾張年中行事絵抄」に8月24日に傘鉾20本と、ねりものの祭りが行われていたことが記されるのみです.
傘鉾は少なくとも宝暦5年(1755)には存在していたことは判りますが、俗にいう『横須賀祭りの起源は光友公の旅情を慰めるため』まで遡るのには無理があるように思われます.
傘鉾は大高の氷上姉子神社(名古屋市緑区)などの祭礼で現在も行われており、全国的に分布する飾り物です.
本町組には傘鉾あるいは練り物の馬の塔(おまんと)の残骸や飾り物の部品が残されています.
本町組に練り物に使用されたと思われる飾り刀が保存されています. 弘化3年(1846)の銘が入った刀は瀬川治助重定の作. 同じく本町組に保存されている太鼓の胴には寛政元年(1789)の銘があります. 現在の山車が出来る50年前の太鼓が、先代の山車に使われていたのか、 練り物で使われたのかは不明です. |
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