尾張横須賀まつり

09-07-18更新

秋まつりの先陣を切って行われる「横須賀まつり」.呼び物は街角で繰り広げられる『どんてん』と江戸時代から伝わる山車や彫刻にからくり人形.
横須賀まつりは東海市横須賀町に鎮座する愛宕神社の例祭です.

江戸時代より伝承されてきた山車は、本町組・北町組・公通組(圓通車・八公車)・大門組の4組5輛 (※1)で、いわゆる名古屋型の山車形態を基本としながらも、横須賀の町並や風土に合わせて作られた山車です.

横須賀の祭りについては資料が残されておらず、その起源など詳しくはわかっておりません.
宝暦5年(1755)に尾張地方の祭礼を調査した記録「尾陽村々祭礼集」には『愛宕祭礼鳥居先より二町間傘鉾二十本木綿幟二十本提灯四十右三品置(※2)、 祭日八月二十四日(以下略)』とのみ記されています.
この頃は山車ではなく、傘鉾がまつりに出されていたようです.

現在横須賀にある山車は、江戸時代末期の寛政年間から天保年間(西暦1800年頃〜1840頃)にかけて建造もしくは再造されたと推定されますが、 それ以前の史料・記録等が残されておらず、山車まつりの起源は不明です.

祭礼日は前述のように旧暦8月24日でしたが、明治以後9月27・28日となり、昭和39年より現在の9月第4土・日に変更されています.

(※1)2輛の山車(圓通車と八公車)を保有する公通組は1輛の山車を隔年で参加するため、横須賀で保有する山車は5輛、 祭礼に参加する山車は4輛です.
(※2)2町は約200mで、愛宕神社前から現在の坂角あたりまでと推定されます.
■祭礼日
9月第4土曜日(試楽)、日曜日(本楽)
■交通
名鉄常滑線「尾張横須賀駅」、臨時駐車場有り
■見所
本楽の愛宕神社曳出し、横須賀町交差点のどんてん、同盟書林角の大どんてん

※当横須賀まつり関連ページは編集途中です.ご了承下さい.

■山車の詳細

本町組山車 北町組楓童車 公通組圓通車 公通組八公車 大門組山車
本町組山車彫刻 北町組山車彫刻 圓通車山車彫刻 八公車山車彫刻 大門組山車彫刻
本町組のからくり 北町組のからくり 圓通車のからくり 八公車のからくり 大門組のからくり
 本町組のまつり 北町組のまつり   圓通車のまつり 八公車のまつり  大門組のまつり 

■山車の特徴


本町組の空木立

横須賀の山車は基本的に5輛すべて同じ形式です.江戸時代に名古屋城下で曳かれていた「名古屋型」と呼ばれる山車に分類されますが、細部には横須賀の町並みに合わせた違いがあり、独自の装飾が施されています.

山車はその曳かれる町の環境に調和した大きさが求められます.現在でも国道から一歩入った旧町方域は道幅も狭く、そのため標準的な名古屋型に比べて山車幅が狭くなっています.その一方で、山車の高さは名古屋型では最大の高さ(6.5m〜6.9m)があります.

名古屋から山車を買ったとの伝承もあるようですが、山車建造に横須賀及びその周辺地区の大工の関与もあり、現在の山車は当初から横須賀独自の仕様で建造されたと思われます.
→山車の特徴の詳細
→山車飾りなど

■町方と横須賀御殿

横須賀は江戸時代初期に尾張藩徳川家の別邸(横須賀御殿)が建てられ、小規模ながら碁盤割りの町並みが整備され横須賀町方と呼ばれていました.
二代目藩主徳川光友の頃、寛文6年(1666)に完成したこの御殿は、その50年後に取り壊されます.その御殿のあとには知多西浦73ヶ村(主に知多半島西海岸)を管轄とする横須賀代官所が設置され、知多西海岸の行政の中心として、また近隣の商業・物流拠点となって繁栄することになります.
→町方と横須賀御殿の詳細

■横須賀まつりの見どころ


北町組「大どんてん」

まつりは土曜日の試楽に各山車は自町内を曳き廻し、午後から順次市道元浜線に登場します.
翌日曜日の本楽は早朝から愛宕神社に山車は勢揃いし、神事の終了をまって神社前でからくりを奉納、どんてん披露の後に町内巡行を開始します.

・どんてん

どんてんとは、山車を方向転換させるときに楫取り(楫方)が山車の前方をかつぎあげ、回転させることを言います.
愛知銀行角のどんてん場(本楽の昼と夜)と、神社近くの同盟書林角の大どんてん(試楽と本楽の夕方)では、山車が威勢良く何回転もします. この同盟書林角のどんてんは特に『大どんてん』と呼ばれ、からくり人形の奉納も行われ、祭一番の見せ場となっています.
→どんてんの詳細

・楫取と新楫


大門組楫取

山車の運行にあたる楫取(楫方)は前楫4名、後楫4名の合計8名です.候補者の中から選ばれた楫取は腰に化粧廻しをつけ、横須賀まつりの花形ともいえる役割です.
なかでも山車進行方向右側の楫棒の外に付く楫取をしけのはなと呼び一番の名誉とされています.
また、初めて楫取りになる若者を新楫と呼び、彼らには祝儀の手拭い(タオル)を送るのが慣わしです.
→祭りの花形楫取と新楫の詳細

・祭り囃子


大門組楽人

横須賀まつりの山車囃子は能楽系の囃子で、名古屋から伝えられたとされます. 山車の動きや曳かれる場所によって演奏される曲が決まっており、数多くの曲が保存伝承されています.
横須賀の囃子で代表的なのは「緩車切(悠車切)」で、名古屋を始め尾張各地で演奏されている「車切」を緩やかにしたものです.
また、どんてんのときには、静かな「早笛」から始まり、山車を担ぎ上げてからの急テンポな「車切(早車切)」、 そしてどんてんが終わり山車が動き出すと「早神楽」といったように、緩急をつけどんてんを鼓舞するような選曲がなされています.
横須賀では、この囃子を演奏する囃子方を楽人(がくにん)と言います.
→囃子の詳細

・夜祭り

提灯を灯し夜の町並みを曳行する宵祭りは、二日目の本楽祭に行われます.
試楽日では、夕刻に山車は蔵に格納され、その後の祭礼行事はありません.本楽日の夜に宵祭りが行われるのは、かつて祭礼日が1日だけだった名残でしょう.
本楽祭の夕刻に、愛宕神社前で提灯を飾られた山車は、本町通りでどんてんを行い、愛知銀行角で曳き別れとなります.狭い道路を通るためここで提灯の数を間引かれて、各山車は町内に戻っていきます.

・山車蔵

情緒ある瓦葺き土蔵造りだった山車蔵は、耐震設計のコンクリート造りに替わり、隣接する若屋(稽古場)も冷暖房完備となっています.
山車蔵の詳細

■大正、昭和そして平成へ

幾枚かの古い集合写真が残されています.

■横須賀まつりを更に詳しく

・横須賀まつりとどんてんぐるま 横須賀まつり考
・神楽小僧の横須賀まつり訪問記 インターネット小説
・まつり紀行 各年度別に横須賀まつりをご覧いただけます
参考資料: 東海市史・横須賀町史
東海市文化財調査委員報告書・東海市の祭ばやし
瀬川治助木彫の世界・他