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岩滑〜義烈組・八幡車   

 記録では,弘化4年(1847)に山車の修理を行っていますが,老朽が著しいために,2年後の嘉永2年(1849)に山車を新たに建造しました.この山車が現在の八幡車で,その後大正7年(1818)から8年にかけて,山車の改修と彫刻等の新調を行っています.
 檀箱・脇障子は知多では珍しい出羽看龍による弘化から天保の頃の作で,旧車に用いられていたものです.この彫刻を外された山車は,東大高村(現武豊町)に売却したと言う伝承も残されています.
また蹴込は彫長(早瀬長兵衛)の「子供獅子舞」で嘉永2年の作です.
山車彫刻

水引幕 「群鳩飛翔」
追幕 「竹と虎」

大幕 「親子龍」
継ぎ目のない大幕は半田でも数少ないものです.また,この大幕はラック染めと呼ばれる技法で赤く染められています(ラック染めとはモンゴルのラック虫の体液を使って染められる技法です)


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