10-04-10更新

半田市下半田地区〜中組「祝鳩車」

祝鳩車は「しゅくきゅうしゃ」と読みます.名前の由来は前山懸魚の「昇鳩降鳩」の彫刻にちなみます.また業葉神社は天保の頃まで八幡宮と称しており、八幡の使いが鳩であることにも関係があるのでしょう.
祝鳩車はすべての彫刻が初代彫常一派で統一され、壇箱彫刻「天の岩戸」は初代彫常の大正前期の傑作の一つといわれます.
中組の山車の起源は定かではありませんが、元文4年(1739)には既に山車が存在していたようです.
先代の山車は安政年間(1854〜1859)、明治5年(1872)と改造され大正の初め頃他所に譲渡され、現在の祝鳩車は大正3年(1914)に地元の宮大工・石堂喜一によって建造されました.
また亀崎の「代参記録」によると、安政年間に亀崎西組が山車を下半田中組に譲渡.明治5年(1872)に再び西組が山車を買い戻すとの記述があります.
これらの経緯など詳細は不明ですが、西組花王車の旧車は弘化2年(1845)に板山大湯組へ譲渡され、昭和2年(1927)に北粕谷(現知多市)に再譲渡されたことが判っています.

前棚人形は大正15年六代目玉屋庄兵衛の作で「太平楽」、上山人形は昭和56年七代目玉屋庄兵衛の「蘭陵王」です.下半田の山車で前棚と上山両方に糸からくり人形を持つのは、この祝鳩車のみです.

山車彫刻詳細1

山車彫刻詳細2

からくり人形詳細

■山車幕

水引幕

「濃緑地に群鵆の刺繍」
下絵 池上秀畝

※鵆=ちどり(千鳥)

大幕

「緋羅紗地に波の刺繍」
下絵 池上秀畝

追幕

「蘭陵王」
下絵 間瀬琳一
非常に大きな台輪は祝鳩車の自慢の1つ
紫檀材に銀の飾りをあしらった置台輪
玉杢の斗組

業葉神社

名鉄知多半田駅前

第6回はんだ山車まつり

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