高須賀町の氏神は小倉神社で、知多半島有数の古さを誇る「唐子車」を保有しています.唐子車の名はからくりの「唐子遊び」にちなみます.
当町に保存される『永代記録』によれば「寛保元年祭礼初めて出来」とあり、寛保元年(1741)に創建されたことがわかります.これは現存する山車では知多半島でも有数の古さを誇るものです.
宝暦5年(1755)に尾張地方の祭礼を調査した記録「尾陽村々祭礼集」にある『牟山権現祭礼八月晦日、山車一輛高須賀町より右社迄引渡、神楽舞神子計、糸からくり幕水引共木綿人形衣装・・・』 はこの山車をさしているのでしょう.
※牟山権現は文政2年(1819)に神社名を小倉神社に変更.
唐子車は天明4年(1784)に高欄塗替えなどの修理が行われ、さらに安政5年(1858)の改造では、瀬川治助重光による白木彫刻が支輪部に追加されました.
からくり人形は天明5年(1785)蔦屋藤吉の作.
水引幕
森高雅下絵 |
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※森高雅(1791〜1864)名古屋鉄砲町生まれで中村竹洞門下.大和絵や浮世絵を多く描いた.尾張の山車祭礼とも関わりが多く、尾張藩の命を受け名古屋東照宮の祭礼行列を描いた『東照宮祭礼絵図』や、天保12年(1842)に発行された『尾張名所図会』の挿図を小田切春江とともに描いている. また、水引幕の下絵も多く描いており、名古屋市下花車町「二福神車」の水引幕『金波怒濤』や、知多半島では板山大湯組「花王車」、上野間四嶋組の水引幕などがある. |
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支輪彫刻「老松」瀬川治助重光 |
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唐子車の前部は格子状の引き戸がはめられています. ※建造年の古い名古屋型の前後や知多型の後部出入口の框(かまち)と梁(はり)には現在でも溝が残り、引き戸がはめられるようになっています. |
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大将人形台座
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雨覆山車蔵から発見した雨覆は、安政5年(1858)と墨書された木箱に保管されており、油障子の貼り替えを行えば使用可能の状態でした. 雨覆とは主に名古屋型の山車に使用する雨具で、いわば山車の傘のようなものでした. 伊勢門水の「名古屋祭」によると、 |
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