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半田市西成岩〜彦洲組・日之出車

 創建当時は小型の山車を曳いていましたが、この山車を大正4年に西浦阿野(現常滑市阿野)に売却(現存せず),その後亀崎田中組など各地から譲り受けた旧材をつなぎ合わせ現在の山車を建造したといわれます.
 その後も何度か改造を施し,昭和24年から25年にかけて,再び田中組神楽車の上山などを譲り受け大改造を受け現在の姿となりました.
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山車彫刻詳細

水引幕
「白地に雲と龍の刺繍」


この画像は掛塚OSHOW氏提供

 西成岩の出郷であった彦洲が,いつ頃別れて出来たかは定かではありませんが,明治末期には戸数が25軒だったといわれます.いつの頃からか成石神社の祭礼には小さな山車を曳いて参加していたそうです.
 しかし,成石神社の社殿に西成岩・敬神車と並ぶと,さすがに貧相で,長年に渡り肩身の狭い思いをしてきました.それが,彦洲の人々の「いつの日にか敬神車と同じ大きさの山車を持ちたい」という宿願となったのです.
 大正4年,当地区出身で成岩の町で製粉会社を経営する榊原庄太郎氏より山車の寄進に関する申し出があり,上記のように近在各地より譲り受けた旧材で高さと大きさは敬神車と同じ新しい山車を建造したのです.
 このとき,祭礼とは時季はずれにもかかわらず,遠く成岩の尾張製粉まで山車を曳いてお礼に行ったとのことです.丁度,大正天皇の即位大礼に全国がわいていたときで,御大典の祝い歌「昇る朝日」を歌いながら曳いたといわれ,そのことから山車名を「日之出車」と呼ぶことになりました.

《参考:半田市誌》


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