東海の山車祭り

第7章 山車研究のこれから (1/4)

意外なことだが、山車を研究する学問がない。今のところ、民俗学を研究している人々のごく一部が山車の研究を行っているが、山車は民俗学の中ではあまり興味を持たれていないテーマである。

美術史学の方ではもっとひどく、まったく研究の対象としては認められていない。建築史学でもほぼ同様である。

現在、山車の研究はもっぱら山車を持っている町の教育委員会、または町の好事家(かく言う筆者もその一人だが)によって行われている程度である。

総合的な研究が行われていないため、町ごとにその山車について詳しく調べられていても、周辺地域の山車との関わりや、全国の山車の中での位置づけは分からないという状態である。しかも民俗学、美術史以外の研究者や素人が寄り集まっているにすぎず、決して十分な研究が行われているとは言えない。

では、なぜ山車が学問的な研究対象とはなっていないのか。
民俗学は日本古来の風習や習慣について研究する学問であり、祭礼は民俗学の研究分野である。しかし、山車祭りに関しては、もっぱら山車に付随する芸能や習俗に目が向けられ、山車本体に対する関心は薄い。

また、山車本体に注目する場合でも、その関心は信仰的な意味や原初的形態に向けられる。
民俗学では山車の持つ江戸後期の装飾工芸としての性格までカバーすることはできない。

やはり工芸的な面は美術史の研究者でないと扱いにくい。ところが、美術史の分野では山車はまったく認知されていない。有名な祇園祭の山鉾や高山祭の屋台でさえ、美術品とは扱われていないのが現状である。
その証拠に、日本美術の全集や美術史の概説書で山車を取り上げたものは見当たらない。


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