東海の山車祭り

第4章 消えた山車祭り(6/6)

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(3)四日市、津、岐阜の祭
 名古屋以外でも、近代になって消滅した山車祭りは数多くある。しかし、ここでは特にかつての大祭が戦災等によって壊滅した例を紹介する。

四日市祭
 市街の中心にある諏訪神社の祭礼で、21輌もの山車が曳かれてにぎわった。そのうち4輌は大山(津島や熱田の大山とはかなり形が異なる。)、14輌は小型の山車(からくり人形あり)、3輌は鯨船だった。昭和の戦災により、大入道と鯨船1輌(明神丸)を残して焼失した。この2輌は、戦後再建された菅公の山車と一緒に、市民祭(大四日市祭)に曳き出されている。戦前の21輌の山車は次のものである。

・大山 西町
・大山 北町
・大山 新田町
・大山 浜田町
・紅葉狩り 北町 (露天の人形山)
・浦島太郎 南町 (変形名古屋型)
・天の岩戸 新田町 (変形名古屋型)
・唐子遊び 竪町 (独自の三層山車)
・司馬温公の甕破り 西中町 (変形名古屋型、現在のものは名古屋型)
・湯立神事 中新町 (露天の人形山)
・石橋 四ツ谷新町 (名古屋型)
・弁慶に牛若丸 下新町 (露天の人形山)
・菅公謫居の状 新丁 (変形名古屋型、現在のものは名古屋型)
・大黒天袋破り 江田 (変形名古屋型)
・宇受賣命狸の腹鼓 蔵町 (露天の人形山)
・唐子遊び 中納屋町 (名古屋型)
・倭姫命田鶴愛撫の状 西袋町 (名古屋型)
・大人道魔性 樋之町 (巨大なからくり人形、現存)
・明神丸 南納屋町 (鯨船、現存)
・勢州丸 北納屋町 (鯨船)
・正一丸 東袋町 (鯨船)

他の祭りにはない独自の形式を持つ山車が多かっただけに焼失が惜しまれる。戦前からの山車が現存するのは、大入道(写真44)と明神丸の2輌。この他に、菅公、司馬温公、宇受賣命が復興されている。
43 木版伊勢四日市諏訪明神御祭礼黎物
44 大入道山車

津八幡祭
・東八景浦島(手踊) 魚町 (船型)
・司馬温公 北町 (変形名古屋型)
・七福神(手踊) 東町
・景清喜撰(手踊) 中町
・石橋舞はやし 築地 (変形名古屋型)
・うつぼざる(手踊) 山ノ世古 (屋台)
・唐子遊のはやし 宿屋町 (名古屋型)
・牛若丸のはやし 中ノ番町 (知立型に近い)
・神功皇后釣ばやし 大門町 (名古屋型)
・笠尽し乙女(手踊) 蔵町
・連獅子・桃太郎(手踊) 京口、立町 (屋台)
・神田踊、釣踊、三人踊 入江町
・新鞍馬(手踊) 地頭領  (屋台)
・神功皇后 伊予町
・船弁慶はやし(手踊) 丸の内本町
 津市の八幡祭でもかって山車が曳かれたが、昭和の戦災ですべてを失った。現在は山車と一緒に町を練った唐人踊りのみが行われている。『津市誌』に掲載された大正4年の山車の例をあげる(形式は古写真より私が判断した)。














岐阜祭
・白木町 長浜型
・上竹屋町 長浜型
・靭屋町 変形名古屋型か
・中竹屋町 変形名古屋型
・中新町 長浜型か
・本町 名古屋型か
・中今町 名古屋型か
・釜石町 変形名古屋型
・上笹土居町 長浜型
 岐阜・伊奈波神社の祭礼では、現在3輌の名古屋型山車が曳かれている。戦前にはもっと多くの山車があったというが、詳しいことは分からない。江戸時代にはずいぶん盛大な祭りだったが、明治24年(1891)の濃尾震災で多くの山車を失ったらしい。
 岐阜祭の山車については何輌の山車があったかすら分かっていない。しかし、戦前に発行された『伊奈波神社誌』の中に、『岐阜名所図会』(未刊行の稿本、焼失)に描かれた江戸後期の岐阜祭の図が紹介されており、当時の山車の様子が分かる。しかも、山車の絵の正確さで定評のある小田切春江によって描かれたものなので、この絵をもとに山車の形式を判断できる。そこには、遠くにポツンと見えるものも含めて9輌の山車が描かれている。この種の絵の性格から考えて、その時のすべての山車を描いたと思われる。その江戸後期の9輌とは次のものである。

 現在は西濃地方にしか見られない長浜型山車(子供歌舞伎の山車)が中濃の岐阜にもあったことが分かる。なお、この9輌に現在残る3輌(車之町金屋町川原)は含まれておらず、幕末以降に新たに山車を建造した町もあったらしい。岐阜県関市の加茂車(名古屋型)は明治27年に岐阜の矢島町から購入したものと言われるが、この山車も絵にはない。また、美濃市殿町の三輪車(名古屋型)は明治36年に岐阜の白木町から購入したとされるが、江戸時代に白木町は長浜型山車を出しているから、これを濃尾震災で失い、再建したものが美濃へ譲られたのかもしれない。
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