東海の山車祭り

第4章 消えた山車祭り(2/6)

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(1)大山と車楽

 大山と車楽は戦国時代に東海地方で曳かれた山車の形態である。大山はその名の通り高大な山車で、数段に組み上げた櫓の上に松の木を立て、社殿とからくり人形または簡単なしかけ人形を置いた。
 一方、車楽は外観二層式で上層に囃子方、踊り手が乗り込み、屋根上に松の木と能人形を立てる。この大山と車楽を揃えて出すのが戦国時代以前のこの地方の古い祭りの形だった。
 江戸時代まで東海地方の各地で大山、車楽が曳かれていた。しかし、先に述べた津島天王祭、熱田大山祭をはじめ、ほとんどの祭礼が明治以後に失われたり、原型を損なった。

津島天王祭(注12)
31 尾張国津島祭礼図巻
 現在の津島天王祭には市江(現在は佐屋町の一部)と旧津島五ケ村(米之座、堤下、今市場、下構、筏場)から6艘の車楽(船上に組む)が出される。しかし、江戸時代の津島天王祭には、この他に旧津島五ケ村の各組が大山を出していた。すなわち、市江から車楽、津島五ケ村は車楽と大山の両方を出し、計11艘の山車が見られた。当時の大山は、車楽と同様に2艘の船を並べた上に組まれたが、その大きさは車楽よりはるかに大きかった。船の上に3段に組まれた櫓の上に、竜の造り物、社殿、からくり人形が据えられた。この大山は明治5年を最後に廃止された。
 なお、津島の車楽、大山の起源は不明だが、五ケ村の一つ筏場の古い記録には大永2年(1522)以後の車楽の人形の記録がある。当時、船の車楽と大山を出していたのは、今市場、中島(下構)、筏場の3村で、堤下、米之座は陸車だった。この2村が船に変わったのは慶長4年(1599)からである。

熱田大山祭(注13)
32 熱田大山祭「田中山」
 津島天王祭をそのまま地上に移した形を持っていたのが熱田大山祭である。この祭りは熱田神宮内にある南新宮社の祭礼で、津島天王祭と同じ牛頭天王(祇園神、疫病の神)を祀る祭りだった。文明元年(1469〜1486)から山車が曳かれるようになったと伝えられている。
 大山祭には3輌の大山と6輌の小山(車楽)があり、大山1輌と小山2輌が1組となり、毎年交代(3年で一巡)で曳き出された。山を出したのは、熱田神宮の西側にある次の9町である。
1.市場村(市場町)小山(先車)
  田中村(田中町)大山
  神戸村(神戸町)小山(後車)
2.今道村、宿村(伝馬町)小山(先車)
  大瀬古浦(大瀬古町)大山
  中瀬村(中瀬町)小山(後車)
3.東脇浦(富江町)小山(先車)
  旗屋村(旗屋町)大山 早期に廃絶
  須賀浦(須賀町)小山(後車)
 ただし、旗屋村の大山のみは17世紀までに廃止され、(転倒したという説もある)近代まで伝わったのは8輌である。
 これらのうち大山の田中山は高さ20メートルを越える巨大なものだった。現在、中京地方で一番大きい犬山祭の山車が約9メートルであることを考えれば、それがいかに常識を越える大きさだったかが分かる。4段に組まれた櫓の上に松の木を立て、からくり人形が置かれていた。
 一方、小山(車楽)は、車輪があることを除けば基本的な形は津島天王祭と共通する。ただし、屋根上に松の木が立てられており、この方がより古い形式である。小山といっても実際の大きさは10メートル近かった。
 熱田大山祭は明治時代になると電線が障害となり廃止された。その後、大山や車楽は各町で保管され、昭和10年には1度組み上げられたこともあったが、戦災でほとんどが焼失した。(中瀬町の車楽のみは部品の大部分が戦災を免れた。先のデザイン博で54年振りに組み上げられたので、見られた方も多いと思う)。 なお、熱田大山祭は廃止された後、熱田祭(尚武祭)に引き継がれた。以来、山車に代わって巻藁船が出されるようになったが、これも昭和48年を最後に廃止された。

三之丸天王社の天王祭
33 三之丸天王祭・「前車」と「後車」
 亀尾天王社は名古屋の町が建設されるはるか以前から那古野(なごや)の地に祀られてきた古社である。戦国時代からその祭礼(天王祭)に2輌の車楽(前車、後車)が出されるようになった。その車楽の形式は熱田大山祭の車楽(小山)とほとんど同じだった。
 亀尾天王社は、名古屋城ができるとその三之丸に祀られ、三之丸天王社と呼ばれるようになった(明治時代に城外に移され、今は那古野神社と言う)。三之丸天王社が名古屋の氏神とされたため、その祭礼は江戸時代を通して盛んに行われた(江戸時代の天王祭については後述)。2輌の車楽は昭和初期まで伝えられてきたが、戦災で大部分を失い、現在はかろうじて1輌分の骨組が残り、宵祭りの堤灯飾りのみが行われている。

 なお、この他にも消滅した大山、車楽の出た祭として、次のようなものがある。
・津賀田神社祭礼(名古屋市)大山2輌
・真清田神社桃花祭(愛知県一宮市)車楽2輌(現在1輌復活)
・桑名宗社御車祭(三重県桑名市)車楽2輌
・諏訪神社四日市祭(三重県四日市市)大山4輌
 一方、現存するもので大山、車楽の両方を出す祭礼として、
・南宮大社祭礼(岐阜県垂井町)
・岐阜県御嵩町蟹薬師祭礼
がある。しかし、山車は原型を失っている。大山で他に現存するものはない。
 車楽で現存するもののうち大型のものは、船上に組む津島天王祭と須成天王祭および、陸上で組む熱田大山祭中瀬町小山と富部神社高砂山車のみである。しかし、熱田と富部のものは通常は組み上げられることがないので、陸上の大型の車楽で現在見ることのできるものはない。愛知県小坂井町風祭の車楽は小型であるが、古式を良く留めている。また、美濃地方にも山車の屋根の上に1体の人形を置く形のものが多くみられ、これも車楽の系統と思われる。
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