東海の山車祭り

第3章 山車祭りの歴史(2/4)

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(2)各地の山車の成立(江戸前・中期)
23 大津祭「猩々山」
 桃山時代から江戸初期にかけて各地に城下町が成立すると、京都を真似て山車祭りを行う町が現れてきた。17世紀までに成立したという記録、または伝承を持つものとして、例えば次のようなものがある。
・長浜 天正2年 (1574)
・高岡 慶長15年 (1610)
・名古屋 元和5年 (1619)
・大津 寛永12年 (1635)
・犬山 寛永18年 (1641)
・大垣 正保5年 (1648)
・川越 元禄11年 (1698)
 など。また、江戸の山王祭と神田祭が盛大なって隔年交代になったのは延宝9年(1681)というから、江戸の山車も17世紀中には成立していたものと思われる。
 これらの町の多くは城下町である。そして、山車の起源は藩主との関係で述べられることが多い。後の時代に祭りの権威を高めるために意図的に作られた伝承もあるだろうが、だいたい信じて良いのではないか。この時代、各地の城下町建設の過程で、藩主の様々なバックアップによって、京都を真似て積極的に山車祭りが導入された。

・飛騨高山 享保3年 (1718)以前
・近江日野 享保2年 (1717)以前
・越中八尾 寛保元年 (1741)
・尾張半田 宝暦5年 (1755)以前
 18世紀になると、山車祭りはさらに全国各地の町に広がった。この時代に山車が始められたものとして、右表のような商業都市もあった。

 また、宝暦5年(1755)に尾張地方の祭礼を調査した「尾陽村々祭禮集」(注8)という記録がある。(原本行方不明)同書によると、24ケ所の山車祭りが記録されており、(名古屋、津島の物は含まれていない)、尾張では山車が既に都市周辺の村々にまで普及していたことが分かる。
 18世紀は、山車が各地に広がった時代であり、前世紀に始められた山車祭りでも山車の数が増えて、より盛大になった。そして、全国の代表的な山車祭りは、だいたいこの頃に基本的な形を完成させている。城下町を中心に藩主の意向で始められた山車祭りが、真に町人や村人のものになったといってよい。
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