東海の山車祭り

第2章 山車の起源(2/2)

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【山車の起源】
 では、このような多彩な山車は、どのようにして生まれてきたものでしょうか。ここで、山車の形の持つ意味について解説することにする。
 山車の起源としてよく挙げられるものに、古代の大嘗会(大嘗祭)に作られた標山(しめやま)や、長徳4年(998)の祇園会(祇園祭)に无骨法師によって作られた大嘗会の標山に似た飾り物がある。これらは山車を考える上で重要なものであるが、山車の起源は多種多様であり、一つのはっきりした原型がある訳ではない。前章で述べたように太鼓に簡単な車をつけたようなものでも山車と呼ばれたりする。
 伊勢宗治氏はその著書『高岡御車山と日本の曳山』の中で、山車の形態による分類を行っており、そこでは山車を大きく「山」「鉾」「船」「屋台」「太鼓台」の五つに分けている。山車の起源を考える上で、この分類は参考になる。ここでは、この5つに「行灯」を加えた6分類とし、その成り立ちについてまとめた(細かい分類の定義は伊勢氏と異なる)。

(1)山
15 三つ山 兵主射楯神社(姫路市)
 山は神が降臨する地であり、山を模した飾り物(築山)を祭場に作って 神を迎える神事がかつて多く行われた。先に述べた大嘗会の標山(車輪がついていた)はその例であり、姫路市の射楯兵主神社で21年に1度作られる「三つ山」(築山)はこれに似たものだという。また、富山県新湊市の放生津八幡宮や、同じく高岡市の二上射水神社にも築山神事が伝えられている。愛知県でも、かつては西尾市の米津神社で築山に近いものが作られた。
 このような神の依りしろである山をかついだり車をつけて引っ張ったりしたのが「だし」であり、それゆえに「山車」という字があてられ、「曳山」とよばれる。これらの山には御神体として人形を飾る人形山が多い。山の中には茨城県日立市の風流物、栃木県烏山町の山あげ祭、北九州地方の山笠のように本当に山の形をしたものもある。また京都祇園祭の山や中京地方の車楽のように中世に成立した山では松の木を立て山を象徴する。しかし、江戸時代以後の多くの曳山では松の木などの山を示すものがなく、人形を置くことで人形山から発達したものであることがわかる。


16 蒲郡三谷祭
(2)鉾
 鉾は本来は武器の矛のことである。矛は古くから神の依りしろとして使われ、今でも各地の祭りで、手に持つ形の矛が見られる。京都では、鎌倉時代からこの矛が巨大化して装飾的になり、やがて踊り屋台の屋根上に立てられ、現在見られるような祇園祭の鉾となった。これらの鉾の先端は、既に本来の形を失い、長刀や三日月の形などになっている。このように、高い柱を立て、先に飾りをつけたものを鉾と呼んでいる。各地に見られる鉾は多くが京都・祇園祭の影響を受けたものと思われる。鉾の場合は、通常、他の種類の山車と合体した形を持ち、高岡市御車山祭の曳山は人形山と、蒲郡市三谷祭の山車は囃子屋台と合体したものである。
(3)船
17 犬山祭  新町「浦島」
 日本は海に囲まれているため、船と生活のかかわりが大きく、船と信仰のつながりは非常に複雑である。例えば、日本神話で少彦名神が船に乗ってやって来たように、神が船に乗って来訪するという考えがあった。
 山車祭りでは、室町時代中期に祇園祭に「舩」(今の船鉾の前身と思われる)が出現した。これは、八幡信仰と結びつき、神功皇后を御神体として祀る物となった。(神功皇后の三韓征伐の船に見立てている)
 船型山車には、都市型のものと、港町型のものとあるようだ。都市型のものは、京都の船鉾の影響を受けており、犬山、長浜、唐津、名古屋若宮祭(戦災焼失)などがある。大きな祭の他の形式の山車の中に、1、2輌混じっている場合が多い。
 港町型のものとしては、漁業や回船業の町で曳かれるものに多く、四日市の鯨船の山車、南勢地方の船だんじりなどがその典型である。勇壮で海の祭りといったイメージが強い。
 以上のものは、船の形をした山車であるが、津島天王祭の車楽のように、山や鉾を船の上に造り、水上を渡るものもある。津島天王社の祭神・牛頭天王は疫病神で、水とのかかわりが深く、祭りの舞台として水上が選ばれた。

(4)行灯
最初は、提灯や小さな行灯を持って、神輿の伴をしていたものが、大型化して山車に発展したものである。全国的には、青森のねぶた・ねぷたや、能登半島のキリコなどがあるが、東海地方にはほとんど見られない。小規模なものとして、愛知県刈谷市の万灯祭がある。

18 行灯 岩瀬曳山車(富山市)
(5)屋台
 当初は徒歩で行列に加わっていた囃子方、踊り方が車に乗せて曳かれるようになったものである。現在、祭礼で使われている山車の中では、おそらく屋台、特に囃子屋台が最も多い。しかし囃子屋台には、美術的に優れた物もあるが、素人造りの物が多い。また江戸時代に作られたものもあるが、近年に作られたものが多い。そのため文化財的価値を認められているものはその数の割には少ない。

19 屋台 御油祭「相生町」
(6)太鼓台

20 太鼓台 桑名石取祭「宮北祭車」
 太鼓を簡単な車に乗せたものから、高山祭の神楽台のように豪華なものまである。また、遠州地方等では、直径数メートルに及ぶ大きな太鼓に車を着けたものも見られる。
 太鼓台の中でも、三重県北部の石取祭車、瀬戸内海沿岸のふとん太鼓などは、運搬用の車や台から発達したと言われている。

 このように山車の成り立ちは様々で、しかも色々な要素が一つの山車の中に取り入れられている場合が多い。さらに江戸時代になると本来の意味から離れて自由に変形が行われ、山車の性格はますます分かりにくくなった。東海地方の山車でも、その成り立ちが複雑なものが多く、厳密に性格づけをすることは難しい。

 なお、前にも述べたように「山」「屋台」などの呼び方は、現在ではまったく意味の上で区別してして使われていない。たとえば高山の屋台は本来は人形を御神体とする人形山であるから「山」「曳山」「山車」などと呼ぶ方が元の意味からすると合っている。また、愛知県豊川市の各地に見られる山車は御神体がない囃子車なので、本当は「山車」よりも「屋台」の方が良い。こうした例は他にもたくさんある。しかし、無理に呼び替える必要はなく、現在使われている呼び方で呼べば良いことは言うまでもない。
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