壇箱右「力神」 立川和四郎富昌
文政10年(1827)
前山蟇股「子持龍」 立川和四郎富昌
文政10年(1827)

 山車名の由来ともなった壇箱両脇の「力神・海棠に親子鶏」を始め,脇障子「張良と黄石公」,蹴込「牡丹に乱獅子」など山車全体が立川流の彫刻で飾られる.
 力神は,上記望州楼三代目成田新左衛門の手記にもある通り,遠州秋葉山・山門の力神に魅せられて取り入れられたようです.この力神は以後ブームとなり,立川流,彫常合わせて数十体もの力神が知多の山車に飾られることになります.