[尾張の山車まつり]−[祭吉の山車祭講座][宝珠]

第118回 宝珠


碧南鶴ヶ崎「宮本車」上山鬼板

同上 前壇置物
 宝珠「ほうじゅ」とは宝とすべき玉の意味で山車彫刻では宝尽くしの中に見られます。宝珠を用いた山車装飾の最たるものは、亀崎東組の大幕でしょう。大幕一面に宝珠が金糸で刺繍されています。これは旧車を飾っていた大幕を模した物で、現在碧南の鶴ヶ崎に残されています。これは墨書き状に画かれた白色の宝珠が画かれていました。鶴ヶ崎にある宮本車の旧車は玉車と呼ばれるのもこの宝珠が由縁です。この玉車には大幕だけでなく、前壇の置物、上山鬼板など随所に宝珠が施されています。
 また、多くの山車で見られる擬宝珠高欄「ぎぼしこうらん」の飾り金具も宝珠を模したものです。宝珠は悪を去り、濁水を澄ませる徳があるといわれます。また、一説には竜族の王である竜王の脳内から出た玉ともいわれ、願うことが何でもかなうとされ

犬山余坂「宝袋」擬宝珠
ることから如意宝珠とも呼ばれます。(そういえば以前あったアニメ「ドラゴンボール」の玉がそうですね。(笑)

亀崎東組「宮本車」大幕
 更に詳しく紹介しますと、宮本車などに描かれている宝珠の図柄は「チ」と発音する梵字で除障招福を意味しているとされ、その構成は生長育の意味を持つ「タ」の字を三つ重ねた「タ」の字の上部に除障を意味する「イ」の字の点書「イ」を五箇所に付けています。
 こうした梵語で構成される宝珠は誠心の願いは何でもかなえられるといわれています。梵字はインドの古代語サンスクリット語を表記する文字で、日本ではお寺のお札などに見られます。山車祭は神社(神道)の祭のものですが、こうした仏教の影響の宝珠は神仏習合の名残といえるでしょう。
神仏習合  神と仏を一体に考える思想で、古く神道と仏教は影響し合い共存していました、今でも家に神棚と仏壇があるのはその名残です。明治新政府により神仏分離令が出され神道と仏教は区別されました。大谷など神社の横に寺があり、そのお寺の境内に山車倉があるのは神仏習合の名残と思われます。

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